2010年10月05日

キンモクセイ

キンモクセイ
今年もこの季節が来ました。

先週くらいからこの花の香りが

強く町のあちこちに漂うように

なりました。

金木犀の匂いってとても柔らかく

鼻腔をくすぐるのに,どこからでも

どこにでも,そして何の香りを差し

置いてでも,先ず嗅覚に届いてきます。

原産は中国のようですが

子供の頃から馴染みの深い匂い

なので,かげば自然と記憶が昔に

タイムスリップします。

生物の感覚器の中で一番はじめに備わったのが嗅覚なんですね。だから「嗅脳」と言って

動物の脳の中でも嗅覚をつかさどる中枢神経は他の脳とは独立して存在します。

もちろん人間とて同じで,大脳半球に殆どの感覚野があるのに,嗅覚神経だけは離れ小島

の様に分かれています。

もしかしたら,霊長類は大脳を獲得したが故に,余りに余計な感覚器をたくさん抱え込んで

いるのでしょうか。多分無駄を取り払われたても,この匂いを感じる太古の昔に授けられた

器官は当然残るのでしょうね。

現代はいろいろな人工臭に満ちていて,感覚が容易に惑わされます。

匂いを識別して対象を同定する,と言った本来生存に係る大切なセンサーが鈍くなっている・・・

のは間違いないと思います。つまりそれは都市生活の快適さや心地よさと引き換えに

私たちが生物としての生き延びる「力」を衰えさせている,とも言えなくもない・・・。

匂いと言う感覚器は,非常に敏感で記憶力に優れたセンサーですが,同時に忘れたり狂わさ

れたりするのも容易な神経です。

アロマテラピーの発展で,どんな成分の香油が精神や自律神経にどのような効果をもたらすか

と言う事が理論的に整備されてきました。セラピー効果と言う効能を否定するつもりは無いの

ですが,人為的に匂いを操って,この太古の昔からある生存に係る重要な器官に対しコントロール

をしようとする試みは,ある種の危うさを考慮すべきではないでしょうか?

私は金木犀のいい香りをかぐと少年期の和やかな気分を思い出すのですが,もしそんな記憶を

いつも身近にかいでいたいと思って,例えば四六時中金木犀の香水を使ったとしたならば

慣れてしまうのも得意な感覚器です,きっと私の中での少年期の記憶は混乱してしまって

それの再編成を強いられる事でしょう。この香りは1年のある短い時季に限って漂ってくるから

いいのです。

生物には各々その固体に備わった個別の匂いがあります。それは性別や年齢,ひいてはその

固体がどの様に過ごしてきたかと言う「生き様」さえ醸すものかも知れません。

しかし今では匂いだけではその個体の識別が困難になりました。様々なフレグランスを用いて

人々は「なりたい自分」を演出するのが巧になったからでしょう。

振り返って「えっ?」て言うことが多くなりました。笑えないですよねぇ・・・・・アハハ。



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Posted by Brewman at 16:12│Comments(0)散策
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