2012年05月18日
イタリア、食い倒れの旅20ビフテキ屋編
イタリア語で「美しい島」の意味を持つIsola Bella(イソラ・べッラ)。このタオルミーナの象徴と言うべき風景です。
静かな入り江にぽっかり浮かんだ様に佇む小島です。
干潮時には地つながりになって海岸から渡れます。
海岸線に行くにはこんな素敵な階段を下って行くのです。 ブーゲンビリアがどこかしこに咲き乱れています。
海岸から階段を上がった沿道にはこんなイカしたロケーションのレストランもあったりと。
たとえシーズンオフの10月とは言え、太陽に満ちた、美しいリゾート地のタオルミーナ。
いたる所オフシーズン故に料金も安く人も少なめ。狙い目かも知れませんね。
この日はいよいよ帰国前日。シチリア島ともお別れです。
太陽が燦々と降り注ぎ、海岸には海水浴する人も目にする程気温が上昇。
時間が許せば私たちもそうしたかったくらいなのですが・・・・・・・。
午後にはこの地を離れカターニャの空港に行って車を返し、飛行機でフィレンツェに帰る事になってます。翌日はフィレンツェからパリ経由で羽田。
それまでの猶予、もう少しタオルミーナを最後に散策します。
まず向かったのが天空の町、カステラモッラ。
タオルミーナの繁華街は海岸線からロープウェイを登った先に位置しています。登り切れば下とは気温が1度以上は違う程。
しかしそんな所さえ遥か下に見下ろす位の高所にぽっかり浮かぶ様にしてその町はあるのです。
眼下に広がるのがタオルミーナの街並。そこだってそれなりの高地にあるのですが、です。
海岸線から急峻に切れ上がって530メートル。高所恐怖症になってしまった私には、町に入城するだけでもチト脚がすくんだ程。
下から細くて曲がりくねった道を進む事約20分、やっとたどり着いたのでしたが、まぁその間後ろから「ノロいぞ、鈍いぞと!」と散々あおられ焦ったの、怖かったの、なんのって・・・・・。
なんせさして高くないガードレールを超えた先は真っ逆さまのお陀仏さんの世界ですから。
運転に自身の無い方、マニュアル車を1度も運転した経験の無い向きには、ご自分たちで行かれるのは余りおススメしません、はい。
しかし高所故に景気がキレイだってのも、また事実なのです。
向こう岸はレッジョ・カラブリア、長靴の先っぽに当たるイタリア本土です。
エトナ山も遮るものまったくなしで見渡せます。
太陽の国、シチリア。 またいつの日にか・・・・・
空路で一路フィレンツェ・トスカーナへ。
翌日はかなり早朝の便でパリに向け出国します。なので既に大体観て回った旧市街には足を踏み入れずに、取った宿はフィレンツェ空港にタクシーで5分程の距離にある Hotel FRANCHI にしました。
郊外の静かで落ち着いた、日本で言う所のビジネスホテルの様な宿で、それでもさすがイタリア、ウエルカム・ドリンクにさりげなくエスプレッソなどを出してくれました。
そうしてもてなしてくれたフロントのお兄さんはなかなかの男前。
しかしイタリアの男性は先入観で思っていたのと実際見て知ったのとは大いに違ってました。
若いオトコはチャラケてスケベぇばっかし、おっさんは無愛想か押し付けがましい・・と思っておりましたのですが、なんでどうして・・・若い衆は礼儀正しくけっこう清潔感があり、中高年はお年を重ねるごとに男の色気が増し外見もよりオシャレになって行くのですね。
これは大いに誤算でした。 さすがモードの国ですな。
もうひとつ余計な事を言えば・・です、これまた先入観を外されたのが女性・・の見た目。
男性はラテン系らしくどちらかと言えば欧州の中では小柄な方でしょう。しかし女性はわりに皆さん大柄でがたいガッチリなんて人が多いのです。
顔付なんですが、ソフィア・ローレン系の目鼻立ちくっきりの顔立ちなのに、よせばいいのにそこに持って来てアイラインを濃く引いて、それにも飽き足らず口輪までも黒く縁取りするのが流行の様です。
もちろんアイシャドウもルージュもベッタリはっきり塗りたくってて、30メートル先からよく目だって見方によってはカッコいいのですが、至近距離で見ると思わず道を譲ってしまいます。まるでアマゾネス。 正直こわかった・・・・・・・・。
同じラテン系でもお人形さんみたいにチャーミングさがあるフランス娘とはえらく違うのでした。
何故わざわざホテルの名前を出したかと言えば、ガイドブックにも周辺の情報がお宿以外には乗ってない地区での夕食をどうしようか・・・と言うワケで男前のフロントマンに尋ねて行った先のレストランがえらく大当たり!だったからなのです。
ああお兄さん、ありがとう。
そのレストラン・・・と言うよりは地元の食堂と言った方が適当なビフテキ屋なのですが、そうなんです、イタリア中でも美食の誉れ高きフィレンツェ・トスカーナなんですが、意外にもそう手の込んだ装飾的な料理がある訳ではないのです。
様々名物料理はあるのですが、この街でとにかく食べとかなきゃここに来たとは言えないのが肉、それもビフテキ。
店の名は「オステリア・ビステッカ」。つまりビフテキ食堂。多分この後にちゃんと固有の名があるのでしょうが、残念・・覚えてません。
行きたい方はどうぞホテル・フレンチに泊まってフロントさんに尋ねて下さい。きっとこの店唯一をおススメになる事でしょう。
フィレンツェ中にオステリア・ビステッカと看板を掲げた店は数多くあるのですが、他は知りませんが、わたし絶対この店いちばんだと思います。
子供の頃よりビフテキ好きで、方々親にせがんで連れてってもらいいろいろ食って来たつもりですが、ここのビフテキに勝るモノ無し!と言い切ってしまいましょう。
この肉食ったら和牛5Aランクの肉なんて飽き飽きです。
外見も中の風景もまったく地方都市の食堂風情。ちょっと違うのは、我々が座ったテーブルのすぐ隣はガラスケースになってて、その奥は厨房。厨房の隅っこは炭火焼のグリルになってます。
さてそのガラスケースなのですが、そこに鎮座してるのは牛や豚の肉の巨大な固まり群。
特に迫力あるのが牛肉で、その固まりは解体された牛の部分ごとにブロックで無造作に放り込まれてる感じ。
肉の断面を見れば、色は赤黒くある程度乾燥が進んで身が締まって来ているのが判ります。
解体され精肉してから日数を経ているからで、この間肉の塊は水分の蒸発で身がしまり、肉質は黒みを帯て旨味を増します。つまり熟成です。
牛肉はすき焼きやしゃぶしゃぶなどで食する場合は鮮度が高い方が向いているでしょうが、厚い塊で調理するのだったらこの熟成を掛けた肉でなければ美味くはならないのです。
最初にとりあえずせっかくトスカーナに帰って来たので生ハムと赤ワイン。それに続いてラグーソースの掛かったラビオリ。
初っぱなからのけぞったのがこのワイン。画像ではミネラルウォーターのビンの陰に隠れよく判りませんが、見た事も無い様なでっかいボトル。余裕で2リッター以上はあるでしょう。こんなの見た事ねぇーよって。
ただ「赤ワインお願いします」と頼んだけなのですが、この巨大なワインボトルの首いっぱい満たされて出て来ます。見ると最初から栓なんて無いようで、店の奥にある樽から直接注いで出して来ている様子。
しかし何だってこんないっぱい!?
で笑えるのが、帰りにお会計でどう清算するのかって思ってたら、散々飲んだのですが、それでも巨大ボトル、頑張って飲んでも半分位残りました。
すると店の旦那・・・「おう、お前は半分くらい飲んだな、だったらこんなもんだ」なんて超どんぶり勘定。しかも安っ!
多分水より安かった様なぁ・・・。
ボドルにはワインの液ダレが染みたラベルが貼ってあり、それには店の名前が刻印してあります。
つまりこれ、ここの自家製ハウスワインってこと。 ほほぉ、ワイナリーもやっとるとですかぁ。
しかしこのワイン、極めてフレッシュで熟成度を感じさせないシロモノなんですが、赤ブドウの旨味がダイレクトに訴えて来る非常に美味い美味いぶどう酒なんです。
ワインと言うよりは、ぶどう酒って呼ぶのがしっくり来る飲み物。
肉との相性で言えばこの上ない品で、料理を美味く食わせる・・・と言うワイン本来の目的に沿った飲み物になっていると思います。
正にこの私は肉をガツガツ食ってこのワインをガブガブ飲む羽目になるのです。
店のフロアーはこの店のご主人と、多分その娘で回してる様子。
この旦那がまた笑えるのですが、立ち振る舞いはまるで舞台役者のようで、良く通るドスの利いた声で詩でも奏でるかの様にしゃべります。
とくに何も話す必要がなくてもなんかしらしゃべってて、もちろん私には意味不明。
年の頃もう還暦くらいでしょうが、体格は良くって無駄な贅肉など無く筋骨逞しい。
正にイタリアン・マッチョの世界。 けっこう面倒見がいいおっさんです。
ラビオリを娘が運んで来たのですが、これがまたおやじそっくりで、と言うよりかはおやじの女版。雰囲気そのまんま。
ラビオリの皿を置いて去ったかと思ったらとって帰って来て今度はでっかいステンレスのボールをテーブルに威勢良く置きます。中に入っているのは山盛りになった削りたてのフカフカしたパルメジャーノ。
私は未だかつてこんな大袈裟な粉チーズの山を見た事はありませんでした。
おお幾らなんだってこんなぎょーさん粉チーズがぁぁ・・・。参ったぜ。
とてもフレッシュでいい香りがします。でも何もこんな持ってこなくたって。もしラビオリのソースを飛ばしてシミでも付けたら・・なんて思うと小心者、気が気でありません。
するとその他のテーブル客が必要になったのか、オネーさん持って行ってくれました。
ああ安心した・・なんて思ったのも束の間、少ししたらまたそのボールを私たちのテーブルに取って返します。
も、えっちゅーの! これには参っちゃった。
殆ど地元民しか来ない様なレストラン。なので英語メニューなんてもんは置いてありません。
当てずっぽうでフィレンツェ名物Tボーン・ステーキを注文したつもりなのですが、出て来たのは豚さん。ブタさんのステーキでした。
これはこれで非常に美味かった。しっかり炭火グリルで火が通され、この上ない豚ステーキ。
食べ終えて、もうそれりに腹が満たされています。
「しかし、これでいいのか。このままで良いのか?」
もうこれがほんとにイタリア最後の晩。美食の国ともしばしお別れ。
トスカーナ最強の名物料理を食せず、このまま引き下がっていいものか・・・?
とりあえず妻に相談。 で、OKと。 ならば行ってしまえって。
後の事はあとの事、よわい四十五、胃腸だってさほど丈夫な方ではありません。この美味い若ワインはきっと赤身の肉だったらもっともっと相性がいいでしょう。ガブガブ飲んで肉をガッツリ胃に放り込めば、私の身体の許容範囲を超え苦しむに決まってます。
それでもこのチャンス、みすみす見逃す訳には行かないのです。
店の旦那に目配せしてガラスケースの中で鎮座する牛肉の塊を指差し、「これだ、これが食いたい」とジェスチャー。
するとおやじ、「そうかこれか、どれくらい食いたいんだ?」と言ってます。
どれくらっていったって、それってグラムなのかキロで言うのか、はたまたポンドだったっけ?
なんて悩んでいると、大きな無地の白い皿に大きな生の肉の固まりを乗せて来て見せます。
「どうだ、これくらいか?」って訊くので「ああそうだ」って答えます。 でもデッカイなぁ・・・。ほんと食い切れるのだろうか・・・。
それで焼かれて出て来たのがコイツ。
まぁー迫力がある佇まい。肉自ら主張してます。 こうなったらこちらも中途半端な挑み方は出来ません。制覇しなければ。
今度は豚のステーキとは違って表面は炭火でこんがりいい具合に焼けてるのですが、ステーキナイフで切入ってみると中は結構なレア状態。
おやじ、焼く前に焼き加減なんぞ訊くので、とりあえずミディアムと答えたら、「判った!」と快答したんだけどなぁ。
しかし私この時は知らなかったのですが、つまりこれがトスカーナ流儀。牛のステーキはレア状態で出すのが常套なのです。
肉は焼かれる時点で既に熟成期間を経ているので、レアで食べても肉の生臭さを殆ど感じさせません。
また脂身も乏しいので、口の中がベッタリまどろっこしくはならないのです。
これがこの肉のいちばん美味しい食べ方なのだったのですね。
ひと度食い付けは、この肉ウマい美味い。腹の方はかなり苦しくなって来ているのは認識出来るものの、食欲に歯止めが利かなくなってます。
そして肉を食えば食う程に、レア状態の肉の色そっくりの店のハウスワインがベストマッチします。これで美味さの相乗効果。
食う程に飲み進み、また飲む程に食い進んでしまうと言う、ウマい美味い地獄の世界。
身体に悪い程飲み食いしてるのは解ってながら、もう止まらないのです。
ある学説では、肉の旨味成分のイノシン酸には神経興奮作用があるとか。つまり神経伝達物質なんだようです。
あながち嘘ではない気がします。肉の赤身はタンパク質の宝庫。他の生き物の筋肉を奪って自らを補強する材料を得るのてす。
人間の、と言うよりは、ほ乳類の進化の過程でさまざまやって来た略奪・征服・同化と言う歴史を赤肉を食らうと言う行為が古い記憶を喚起させ高揚感をもたらすのではないでしょうか。
確かに肉食すると攻撃的になる気がします。菜食主義者いわく、その目的は他の命を殺生しない、と言うばかりでなく、精神の平穏の為だとも。
このワタシもいつの日にかはベジタリアンになって無駄な殺生をしないで済む生活を営めたらなぁ・・・なんて無責任にも牧歌的な夢想をしたりもするのですが、しかしこの肉食って妙にギンギンまだまだ興奮してしまっている自分を再発見してしまうのもまた事実なのでした。
骨際の肉さえめざとくこそげ取って完食し、ではお会計の段に。
幾らだったか忘れましたが、とにかく呆れる程安かったのは覚えています。円高のせいがあるからと言ったって、安過ぎます。
しかし美味いものを安く食わせる。これはこの国のポリシーみたいなもんなのかなぁ、とも思います。
食べる事は生活の基本。それは1日の中でもっとも尊重されるべき行為であり、ならばそれは美味しく楽しくなければいけない、と言うイタリア人の骨身に染み付いた哲学なんでしょう。
だから食べる事は当たり前に身近で普通でなければいけない。分け隔てせずに安くってウマいもんをじゃんじゃん食わせてやる、ってのが流儀なんでしょう。
この食い倒れのイタリア旅行であまた美味いもんを食って渡り歩いて来ましたが、それぞれの良さやジャンルの違いがあって単純比較は出来ないのですが、最後の最後に入って食ったこの食堂が、満足度で言えば最高点を捧げたいと思います。
もちろんこの店に限らず、気持ちよくもてなしてくれ、たくさんの美味しい食べ物を食べさせてくれたイタリアと言う美食大国にとても感謝しています。
お陰て当初の目的以上に有意義なグルメ旅ができたとの思いです。
さてさて、したたかに酔っぱらってその勢いで近くのホテルのカフェに入ってドルチェなんぞも食らってお宿に帰還。
余り意識がはっきりしないなかでモウロウとシャワーを浴び就寝。
しかしそれから約2時間後、食べ物に押し潰される夢にうなされ目が覚めてみれば、胸焼け・胃もたれ・吐き気で地獄の苦しみ。
あまりに辛いのでトイレにって喉に指を突っ込んでみたもののちっとも吐けず、仕方が無いので五時にセットした目覚ましが鳴るまで孤独に辛抱したのでした。
まぁ当たり前だよ、年甲斐も無くあんなに暴飲暴食したんだもの。
恐らく、今後の人生でもうあんなに飲み食いする事は無いでしょう。あとは老いさらばえるのみ・・・・・・・・・・・・・・
早朝フィレンツェ空港を飛び立ったエールフランス機はパリに向けフライトします。
途中はアルプス越えです。美しい雪山の峰々。私が雪山登山に来る事はもちろんありませんが、願わくばいつの日にか観光で、更に欲を言えばスキーもしたい・・・なんてね。
そう言えば、この旅は妻の勤続20周年を祝う旅行だったのです。だから次はまた二十年後・・・? なんでしょうか。
フランス・シャルルドゴール空港内で買ったマカロン。言わずと知れた今をときめくおフランスのお菓子。
これがイタリアではどういう訳かマクドナルドのみでは置いてあったのです。息子はそれがきっかけでマカロン好きに。
しかしこれ高いよね。特に空港なんかで買っちゃうと。でもウマかった。それで一家揃ってマカロン・フリークに。
では次はおフランスにスイーツ旅かぁぁ・・・・なんてもう既に浮気心が。
と言うワケで、今回第20回目をもちまして、「イタリア、食い倒れの旅」ブログの完結の運びとなりました。パチパチパチパチ
いゃぁ〜長かったよ、ここまで来るまで。
人に読ませると言うよりは、無料サーバーを拝借して家族の旅行記をシタタメた、と言う方が当たってますかね。
もし部分的にでも読んで下さった方がおいででしたら、部分的にでも面白おかしく読んで下さった所があったら筆者幸いです。
殆ど計画中の旅行の資料としての価値は無いでしょうが、「イタリア」と言う国を食からとらえた場合、非常に狭い角度からではありますが、何かしら雰囲気を掴んで頂けたのではないでしょか。
では、これにておしまい、おしまい。 ジャンジャン Grazie mile. Ciao!
2012年04月27日
イタリア、食い倒れの旅19シチリア・スイーツ編
シチリア滞在3日目は、早々と朝食を済ませ、向かったのは南の港町シラクーサ。
滞在先のタオルミーナから高速道路アウストラーダをひたすら南下、カターニャを経てシラクーサのインターを降りれたのは3時間後くらいだったでしょうか。
ちょっとくたびれたかな。なんせ慣れなと土地でのレンタカー運転。道路事情は日本とは大分違います。
南に向かって高速道路は未だずんずん延長途上の様子。だから何年か前のガイドブックや人様の旅行記にはなかったところまで道路が延びててくれてて、思いの外早くに目的地まで着けたりしたのですが、やはり感覚やメンタリティが我々とは大分違うのですね。建設途中の道路でもとりあえず開通させ車を通したりしてます。
ですから途中で唐突に舗装泥道路が砂利道に変わったり、中央分離帯が除けられ反対車線側を走らされたりと・・・。 まぁ、いんだけど。
シラクーサはのどかな港町と言った風情の、大変感じのよい街です。元々は古代ギリシャの影響の下、発展を遂げた地中海の街で、なのでとりわけシチリアの中でもギリシャの雰囲気が色濃いでしょうか。
この街の見所と言ったら一番は海の幸や野菜果物、乳製品などがよりどりみどりのメルカード、市場でしょう。
私たちはたまたま日曜日なのもあって、あえて行かなかったのですが、ただ旅行中にその土地の市場を覗くのは大変楽しいのですが、生ものはそうそう買えないと言うのが残念なところです。
少しばかりの果物くらいならいいのですが、まさか生の肉や魚を買う訳にも行かないし・・・って訳です。
宿にキッチンがあれば自炊と言う手もありますが、せっかくの旅行、その土地の人々が作る料理を食べなければかえってもったいないとも思います。
もうひとつの見所と言ったら考古学公園でしょうか。
ここは現存するモノの中では最大の規模を誇ると言うTeatro Greco(ギリシャ劇場)がありまして、それを建設するのに必要だった石の切り出し場がすぐ近くにあるのですが、いったいなんでしょう、何時しか石を切り出して行った後に出来上がった人工の洞窟の方に後世の人々の関心が集まる様になったのです。
その名も「ディオニュソスの耳」。
ディオニュシオスと言った方が正式らしいのですが、これはギリシャ神話のオリンポス十二神の一人で、ブドウ酒と酩酊の神様だとか。
別名バッコスとも言い、イタリア語で飲んだくれの事をバッコとか言うそうです。
酒神ですな。それに留まらず「酩酊の神」と言うところがなんか面白い。
また若い頃のゼウス神(ディオス)でもあると。
若い頃にいささか酒癖が悪く、しかも噂に聞くところ夜な夜な乙女のしとねに忍び込んでは・・・・・・・なんてことも多々あったとか。
後者に関してはその後最高神に昇格した後も度々あったと神話の中には出て来るのですが、まぁある意味言葉が可笑しいのですが、人間臭いと言いましょうか。
このディオニソスの耳、入り口割れ目の切れ上がった先端まで36mもあり、奥行きはなんと45mもあるのです。
何ゆえここがそんなにも観光名所となったのか・・・? そしてディオニソスの名を冠した呼び名になったのか・・・です。
この洞窟の形状。どう見ても女性器を連想させずにはいられません。入り口の形状と言い、奥行きの深さとその暗闇。
耳と言っちゃあミミですが、酩酊の神様ですから、きっと意味合いがあるのでしょう。
こうした偶然の産物ではあったものの、それは不思議と神秘的な魅力を醸し出し、人々を引き寄せる魅力を期せずして伴ってしまったのてす。
女性器は性交時の連結部分でもありますが、また一方産道でもあります。現世と黄泉の国を隔てるトンネルでもあり、この巨大な岩の割れ目が見るものに神秘的な感慨に耽る余地を与えているのでしょう。
まぁちょっと、酔った気分になれるのですね。
郊外にあったギリシャ遺跡の考古学公園からシラクーサ先端のオルディージャ島、街の中心地に行ってお昼食をする事にしました。
もちろんここでも中心に当たるのはドーモ前の広場です。その教会の塔にはこんな手の込んだ彫刻がしつらえてあります。
マリア像なのでしょうか、しかし表情は少女っぽいあどけなさがある様に見えます。
慈悲に満ちた、でも何処かもの憂気な印象を与える少女の眼差し。
僭越ながら女性の表情を評させて頂くならば、使い古された陳腐な例えではありますが、それには2種類あると思います。
ひとつは泣き顔なのに何故か笑ってる印象を与える顔。
もうひとつは微笑んでいるのに表情の陰に憂いだものを感じさせる顔。
前者は大概においてブスの類いであり、後者は慈愛に満ちたマリアを思わせる美しい方であるのです。
容姿がと言うよりは、性格の美醜とも言いましょうか、ブスは何時の世も大概要求が過多で我慢と言うのを知らない。
慈愛の女神は恵みをもたらし自らは欲求をしない。
どちらも女性の一方の側面であり、どちらかに偏ってても女としての幸福を手にする事は出来ないのでしょう。
だからどちらがいいと言うのではないにしても、まぁオトコ的には慈悲と美しさを兼ね備えた奥方がいいと言う、まったく手前勝手なファンタジーを諦めきれずに年老いて行くのでした。
ランチに選んだのはこれが食べるのはじめて、ポルチーニ茸のブルスケッタです。
どうやって焼いたんだろうか・・と思わせる一皿大のパンを薄くスライスして、その上に各種具材とモッツァレラを乗せ焼いたもの。
イタリア中どこでも良く食される、昼食の定番料理でしょう。
ピザゃパスタの飽き足らず、なんかたまにはバリエーションで、って時に最適です。日本風に言えばピザパン。なんか古い言い方。
でもこれ結構ウマかっです。ポルチーニの適度なぬめり気と独特の風味に焼けたチーズの味、下がパリッと焼けた薄切りのパン、三位一体の味はシンプルゆえの美味しさだったでしょうか。
さて、昼食後に向かったのは、シラクーサより更に南に30分、ノート(Noto)と言う小さな田舎町。
お昼を終えしばらく散策した後に出発したので、付いた時にはもう既に夕暮れ時になっていました。
西日の色が次第にまして行く町は、子供たちが教会前の広場でサッカーに興じ、老人たちはベンチに繰り出し世間話をし、日暮れに合わせて今日1日の身繕いを急ぐ小鳥たちのさえずりで満たされる、のどかなのどかな南の果ての世界です。
観て回るのに半日も必要としないこんな小さな町ですが、けっこう外国からの観光客を目にします。まぁ私たちも例に漏れず・・なのですが。
情緒あふれる街並がその理由の最たるものなのですが、もうひとつ挙げるとしたら、この町にはここ「カフェ・シチリア」があるからでしょう。
なんて事はありません、我々もここが目当てでわざわざ更に南に下って来た様なもんですから。
この店はどういう経緯でそれ程にも名が知れ渡る様になったかは知りませんが、何でもヨーロッパ中のスイーツ愛好家に認知されている様なのです。
ロケーション効果ってのもあるでしょう。イタリアの南の最果ての小さな田舎町の絶品スイーツ。ロマンを感じない訳には行きません。
注文したのはパイ生地で包み込んだ様なチーズとチョコレートのケーキ。それにカプチーノとアメリカーノ。セガレは例によってチョコラーテ。このチョコラーテはめちゃ甘かったのですがラテ・カルドー、スチームしたミルクで好みに割って飲んだら非常に美味しくなりました。
ケーキはなかなかどうして、イタリアのスイーツ、特にケーキは激甘モノが多くって、時に閉口したもんですが、ここのは適度な甘味加減で、けっこう美味かったです。
まぁ、ロケーション効果もたっぷりあったでしょうが。
でもタオルミーナから車で長々と運転して来てこの町にたどり着き、最後にこのドルチェにありつけ、満足のゆく締めくくりが出来たと感じさせるに充分のものだった事は確かだったと思います。
もっとも、その後暗闇の中を来た分だけ真っすぐ北に帰って行かねばならなかったのでしたが・・・・・・・。
シチリアを代表するお菓子と言えば絶対に外せないのがこれ、カンノーロ。ガイドブックにはこう記されているのですが、現地では確かトローネとか言ってたと思います。聞き間違えか勘違いの心配もあるので保証は出来ないのですが・・・。
このお菓子は大概どのお店屋さんのショーケースに常時置いてある定番品でして、種類も様々。
アーモンド・パウダーを練り込んだパイ生地でリコッタチーズとレモン果汁で作ったフィリングを包み込んで焼き上げたのが基本形で、バリエーションで砂糖漬けのフルーツやチョコレートを合わせたものなどなど、いろいろあります。
シチリアの人は料理にも大変よくリコッタチーズとレモンを用います。土地の名産品をスイーツにも応用するのですね。
リコッタチーズとレモンの酸味が香ばしいアーモンド風味のパイに良くマッチしていて、改まってドルチェと言うよりは、小腹が空いた時にちょっとどこか近くに立ち寄ってつまみ食いする感じの焼き菓子って感じです。
余り甘くなければ健康的でもありそうだし。
シチリアと言うよりは、イタリアで外せないスイーツと言ったらジェラード。
食感はもっちり糸を引く程の粘り気があってまったりとしています。でもこれもいささか日本人的には甘過ぎのが多いでしょうか。
特に変わったものではないのですが、アイスクリームの原液を低速ミキサーで練りながら凍らせて行くと、あの食感になります。
家で食べてるアイスクリームを半解凍してフードプロセッサーで撹拌してやると、大体似た様なものになる筈です。
イタリアでは其れこそ犬も歩けばジェラード屋にぶつかる、って程に探すのには労せないのですが、どうもアイスクリーム屋さんは別営業って感じがします。レストランやカフェなどに必ずと言っていい程あるのですが、ジェラードは別会計ってところが多い。
どうしてでしょうか? 大手の委託販売ってスタイルのせいなのでしょうかね。
ジェラードならばなにもシチリアでなくたっていいのですが、その他の土地で見掛けなかったもので、しかも特に中でも美味しくってあれならまた食べてみたいと思ったのがピスタッチオのジェラードです。
見た目は抹茶アイスクリームそのものなんですが、味は今まで感じた事の無い風味でして、これはなかなかイケてます。
もう既に日本のどこかでもあるのかも知れませんが、これはジェラードのもっちりネバネバ感にもよく合ってて、もし身近で食べれるとしたら嬉しい限りですね。
ちなみに写真はチョコラーテを頬張る小さな宇宙人の様です。
2012年04月06日
イタリア、食い倒れの旅18魚介類編
イタリア滞在も既に8日目。シチリアでの逗留地は3日連泊でタオルミーナにしました。
ここはイタリアが欧州で誇る名だたるリゾート地でして、正に風光明媚をそのまま形にしたようなところ。シーズン中はヨーロッパ中からお金持ちがバカンスに集まり大変込み合います。
しかしさすがイタリア、わたし的にはまだ充分温暖でいい雰囲気なのですが、10月は既にシーズンオフ。なので海岸線にある高級ホテルは冬仕舞いしちゃってるところが殆どです。
ここは20年くらい前にヒットした映画「グランブルー」のイタリアでの撮影地になった場所。
岸壁の上に建っているのが撮影に使われたホテルで、これも休業中。
上の母屋から岩盤をくり抜いて通したエレベーターを使って降りると木造の建物に出られ、ここがエンゾとジャック、そのガールフレンドが「海の幸のパスタ」を食べてたレストランです。右隣にかろうじて見えるのがプールで、エンゾがピアノを弾き、その後ジャックと水中でシャンパンの飲み比べをやったところです。
パティオや客室用に使われたのはもうひとつ、こちらのホテルです。ここも大変な高級ホテル。元々は修道院で、なので入ればかなりの重厚感があります。もちろん我々はお茶に寄ったくらい、泊まってはいません。
こっちのホテルは営業してました。
タオルミーナは沿岸部にホテルがちらほら建っていて、メインで賑やかに建て込んでいるのはロープウェイに乗って行った高台の地です。
およそ5分程で上の駅に到着し、少し坂道を上るとメインストリートに入るタオルミーナの門があります。
その向こう側はウンベルト通り。さすがヨーロッパのお金持ちが押し寄せるリゾートだけあり、こ洒落た店が両サイド、さほど長くないですが、ずっと続きます。
この時期は、まぁちょうどいいくらいの賑わいでしたかね。
その中のひとつ、シチリアの郷土品の陶磁器のお皿を売るお店で店員さんとお話ししてるのは早見優さん。ちなみに同い年です・・・だったかな?
香坂みゆきさんとのシチリア島を紹介する番組の撮影で来ていると、スタッフの方が教えてくれました。
でもしかしまぁ、早見さんも香坂さんも既に40代後半の筈。にも拘らず2人ともなんと言いましょうか、その年の女性にはあり得ない様な、カチッとした体格をしているのです。ただ痩せていると言うのではなく、かなり綿密な計画のもと、トレーナーに付いて作り上げている様な身体のしまり具合なのです。
テレビ的にはちょうど見栄えするのでしょうが、ちょっとま近で見るには人間離れしているようで後ずさりしてしまいそうです。
ああ、この世界で生き残るのって大概な事ではないのでしょうに、と思わずにはいられないです。2人ともいったい普段なに食ってんでしょうか?
シチリアは地中海を挟んで、その向こう側は北アフリカでアラブの国。なので食文化もその影響が見られます。
かの地のパスタ料理クスクスや、ライスコロッケ、こってり甘い焼き菓子などはその現れです。
オレンジやレモンなどの柑橘類もそちらから苗を持ち込んで根付かせた様です。
しかしその特徴がより強いのはシチリア第一の都市、北部に位置するパレルモです。人種的にもアラブの血を引いた人々が多く見られ、かの有名なシチリア・マフィア発祥の地です。
映画「ゴットファーザー」に出て来る組織の幹部のおじさんたちは色が浅黒く、目が落ち凹んでいて、アラブ系の特徴を良く表していたんだなぁと、今になって気付きます。気性はいったん火が付くと炎上しやすくって、まぁ正にウラ世界向きなんでしょう。
それからするとシチリア東岸部の街メッシーナ、カターニャ、シラクーサは、まだヨーロッパの風情が優勢な気がします。
食べ物も楽しみにしてたライスコロッケに出会う事無く終わってしまって残念でした。多分どっか探せばあったんでしょうが。
シチリアの人々が家庭でも比較的良く食べるのがメカジキをソテーしたこの料理です。大概上にはトマトソースが掛かっています。
前にシチリアでは魚介類にはトマトソースを合わせない、と書いたのですが、これは例外。メカジキ自体が大変淡白な味なので、シチリアのトマトで作ったパンチのあるソースを乗せて食べても相殺効果は生じないのですね。
これは素朴な作るのも割に簡単な一品。材料費も安価でイタリアから帰って以来しばし家でも出しています。
こちらはシチリア料理の代表格のひとつと言ってもいい Pasta con Sarde(イワシのパスタ)です。
材料はイワシの他は松の実と、それにイワシの臭み消しの意味もあるのでしょうウイキョウが入っているのが特徴の料理です。それと大概最後にパセリともにパン粉がまぶしてある様です。
パスタは日本では殆ど目にする事のない長目のマカロニが縦に割れ目を入れた様なモノが使われています。シチリアではこの種のパスタを良く目にしました。食感的には不思議な感じ。ショートパスタでもロングパスタでもなくって。しかも湾曲してるけど中空でもなくって・・・と、なれないとつかみ所の難しいヤツ。でもソースの絡みはいいのでしょう。
この料理も材料費が安くってシチリアの家庭もでも良く食卓を飾る一品の様です。リストランテなどでもメニューに載ってる定番です。
わたし家でこれを度々作ってます。ウイキョウがそう簡単には手に入らないので、代わりにセロリとフェンネルシードを混ぜ込んで、それらしい味にします。
以前プランターでウイキョウを育ててみたのですが、まぁ確かに出来はしたのですが、こいつは成長すると結構デッカクなるようで、プランター栽培は向いていなかった様です。
まぁ途中で植え替えしてやれば良かったのですがね。
味は成長し切る前に収穫してしまったので香りがイマイチだったのですが、でも雰囲気は楽しめたかな。
シチリアの美味い魚介類を紹介して行ったらキリが無いのですが、私が食べてとても感激したのが「スズキの塩釜焼き」。
これはタオルミーナの観光客相手にしているレストランに飛び込みで入って進められて注文したのですが、マネージャーさんが強くおススメしただけあった一皿。
日本ではスズキの塩釜焼きなんてそれなりのフランス料理店でないと食べられないでしょう。サイズもでっかいスズキを丸ごと一匹使うのでお値段もそれなりになって、怖くって注文出来やしません。
私たちがこの晩食べたのはせいぜい頭からシッポまで25センチ程度の型のもので、いかように調理しても14ユーロポッキリです、と言う品でした。
で、勧められて塩釜焼きにしてもらったのですが、まぁこれが美味いウマい。丁寧器用にフォークとスプーンを使ってマネージャーさんが焼いた塩の固まりの中から小ぶりのスズキを掘り起こし、皮と骨を外して実を分けてくれました。
もう味付けは出来ているので見栄えの為に付け合わせたレモンも搾らず食べて下さいと。
ああなるほど、こりゃあ美味いわ。高級料理店で高いカネ取れるだけの一品ですよ。
でもそんな高くなくったって、こうして食えるのになぁ・・・と思わずにはいられなかったBrewmanだったのです。
ちなみに余りに美味しかったのであっという間に食ってしまい、画像を撮り忘れてしまったBrewmanでもあったのでした 丸
2012年03月22日
イタリア、食い倒れの旅17トマト編
カターニャで昼食を取った後、また歩いて駅まで引き返し預けてあった荷物をピックアップ。駅前のロータリーでタクシーをつかまえ空港に行きました。そこで予約してあったAvisのレンタカーを出してもらい、アウストラーダA18を北上して、イタリア有数のリゾート地、タオルミーナに向かったのでした。
ちなみに今回借りた車はフィアットのフォードア小型車。車種はパンタとかなんとかって言ったっけな。濃紺のカラーで、車体の割には室内は広く、トランクも大型スーツケース一つは余裕で入って更にソフトサイドバックなら幾分大きなのでも大丈夫って位です。
乗り心地、運転心地はすこぶる良くって、イタリア大衆車のイメージを刷新させられました。それに引き換えフォード・エスティマの酷かった事と言ったら・・・・・・・・って感じ。
日本でも小型のレンタカーは旅行の度に様々なのを乗って来ましたが、それらと比べても、このフィアットは遜色を感じさせない。いやいや、足回りの機敏な感じは小型の日本車に無いものかも知れません。
アイドリング時のエンジンストップも装備され、環境意識も高い。様々なスイッチ類も操作しやすくなってて、いちいち目で追わなくともちょうど手の届く所に配置してあります。
そう、なかなかどうして、侮れませんねぇイタリア大衆車。
まぁ、なんつったって、あの跳ね馬フェラーリの親会社さんなんですから。
また余計な余談なんですが、イタリアの旅から帰って来て2ヶ月も経って、Hertzより意味不明な請求がVISAカード経由で来ました。
日本の営業所に頼んで調べてもらっても解らず、ではと思いカード会社に調査を依頼してから約2週間、ようやく回答が来ました。
それによると、イタリアに入国した翌日にフィレンツェの営業所で出してもらったレンタカーでピサの斜塔を見に行ったのですが、我々はどうやら「歴史的建造物のある特別指定地区」に車で侵入してしまったのです。そのエリアは地元の人の運転する車、もしくはタクシーなどしか入っては行けなかったのです。
とは言っても地元のお巡りさんに咎められ切符を切られた記憶は全くありません。
なんでだろぉ・・・?と不思議に思っていると、カード会社の人は教えてくれたのです。
つまりその特別指定エリアの境界線にはナンバーを読み取るカメラが設置してあり、どの車がそのラインを通過したか自動記録されているとの事です。ナンバープレートで明らかにレンタカーである車の侵入が判明して警察はHertzに通報、それでもって今度はHertzがその時の借り主を警察に通報したと言うワケ。
おお、けっこうハイテクじゃあーん! なんてのたまってる気分じゃありません。
後日カードの明細に意味不明な30ユーロの請求は、つまるところレンタカー会社が警察の要請に応じた照会手数料と言う事なのです。
おお、なんてこったぁ・・・! 説明の途中で私は勝手に「ああそうか、それって罰金だったのね」って早合点、レンタカー会社が立て替えてくれたんだ、なんて脳天気なこと思っとったら、なんだよ、照会手数料とは、トホホほほぉ・・・・・な気分です。
しかもこれからピサの警察の交通課から罰金の請求が来るかも知れないなんてカード会社の方は言います。
妻と相談して、もし来たらどうするぅ?って話しになって、「そんなのしらばっくれちゃえばいいじゃん」「まさかイタリア大使館より拘束要請が日本の警察にでる訳も無いし」なんて言い合いましたが、もし例えば将来再びなんかでイタリアに入国した際、入管審査のPCに我々の罰則金滞納が判明、即強制出国とか、もしくは滞納金にたっぷり滞納加算金が付いて払わされるとか・・・・・・なんてことありえるのだろうかぁぁぁ・・・・・・・なんて考えると結構眠れなくなるのでした。
ちなみにまだイタリアから交通違反の罰金納付に関する書面等は届いていまへん。
上の写真に写っている陶器のマークはシチリアのシンボルです。折れ曲がった三本の脚は三角形をしたシチリア島のそれぞれの岬を表し、真ん中は蛇の髪の毛を持ち見た者を石に変えてしまう女、メデューサです。
何ゆえシンボルマークにメデューサを持って来たのかは知れませんが、一度大噴火したら辺り一面のみならず広域までを溶岩で覆い尽くしてしまう、今でも盛んに活動を続ける活火山エトナを象徴しているのでしょうか。
エトナ山は標高3323m、結構高いのです。日本では富士を除けばこれ程の山はありませんから。ほぼ一年中こうして雪を抱いている様で、山頂から白くたなびいているのは風雪ではなくて噴火口から上がった煙です。
十七世紀に大噴火してカターニャを壊滅させた他にも大小の噴火は続き、近年も周辺住民が避難を強いられる溶岩の流出や土石流があります。
散々な目にあってコリゴリなのかと思いきや、ところがどっこいでして、むしろこの活火山を観光資源にしてしまっているのです。
バスとロープウェイを乗り継いで標高三千メートル近くまで行く事が出来、その先はガイドが付けば山頂までも行けるとか。
おお、なんとイタリア的と言うか、なんでしょか、このユルさ加減。
多分、日本じゃあり得ないでしょう、こんな頻繁に噴火を繰り替えず山の山頂まで観光させるなんて。 ああ、あり得ない。
もちろん、過去のデータに基づき噴火の動向をきちんとモニターしていると言う自負があるからなのでしょう。これまでに観光客が被害にあったなんて話しはありません。
しかしスゴい凄い。さすがイタリア!
時に不自由を強いられる地元の住民はどうやらエトナ山を信仰の対象にしている様です。
山に畏怖の念を持ち、同時に恩恵をもたらす畏敬の対象にもなっているのです。
もともと雨が少なく荒涼とした大地。そこに噴火によってミネラル分が豊富に供給されるのです。
噴火は災厄でもあり、恵みでもあるのです。
トスカーナと並んでまた別条件でここはイタリア有数のワインの産地です。中央アジアが原産地の葡萄。その地は年間降水量に乏しいのですが、氷河によって削られた岩肌のミネラルが供給され、ブドウの実に味を含ませます。
このエトナ山周辺がワイン用の葡萄を栽培するのに適しているのがよく判る気がします。
そしてもうひとつ、ぶどうと並んでこの地で栽培に適しているのがこのトマト。
トマトは南米が原産と言われています。昼には強烈な日差しで照らされ、乾燥と標高ゆえ夜は寒気に晒されます。そんな自然環境が適している作物です。
直射日光の強さならばシチリアも負けてませんでしょう。乾燥もしているので夜は冷え込む。エトナ山の麓での栽培なのでアンデス山脈程ではないにしろ多少は標高もあります。そして何よりやはり土がいいのです。土からの有機養分は乏しくとも、さんさんと照りつける太陽のエネルギーと豊富なミネラル分を吸収して旨味を増すのです。
近年日本ではデザートトマトなるものを良く耳にする様になりました。お値段は随分と高めで形もスマートで素敵です。お味は確かに甘くって甘くって・・・・・。
トマトに限らず・・なのですが、特にトマトはその美味さをどの程度糖分を含んでいるかで商品価値をはかられる様になりました。
生産者の努力のかい、もしくは農産物の研究者の職業的成果と言えるのでしょうが、「ウマさ」を「甘み」と同義化しがちな近年のこの国の傾向には、いささか危ういものを感じずにはいられません。
つまりそれだけ我々の味覚が単純化して来たと言う事でしょう。欧米人、特にアメリカ人の味覚には三種類で足りると言われます。
「甘味」「脂味」それに「酸味」、これだけ。もちろん塩気は必要でしょうが、まぁこれは余り前過ぎるので省略です。
日本人の最近の三味は何かと言いますと、「甘味」「脂味」それに「ダシ味」となります。つまりこれは子供たちが好んで良く食べる日本のスナック菓子の味付けなのです。いわゆる「後を引く味」と言うヤツです。
我々日本人も、急速に微妙な味の機微に疎くなって来ているのでしょう。
トマトにはトマト本来の「味」と言うものがあります。しかし私たちはスーパーで形が良くって日持ちもする、1世代のみのF1種と言うタネより栽培された作物はかり食べて来ているので、それ本来の味がしなくても不満を抱かないのです。生産者も栽培が安定して形も揃うので出荷時の箱詰めに都合の良いこうした種を好んで作ります。しかし一番いい思いをしているのはタネ会社かも知れませんねぇ。
シチリアの強烈な太陽をいっぱいに浴びたこの地のトマトは、恐ろしい程味が濃いのです。
この様なトマトを一度でも味わったなら、もうトマトの評価に甘さを真っ先に求めるなんて事は考えなくなるでしょう。
トマトはトマト。 ああこれがトマト。
言葉では上手く表現しきれない、それそのものの味。
口にしたならば、トマトってこの味だったんだよねぇ、と思う事でしょう。
南イタリアに旅したならば、必ず食べてもらいたいパスタがあります。
「スパゲッティ・ポモドォモ」
トマトのみ、もしくはトマトソースを和えただけのパスタ料理。
トマト以外の具材は塩、オリープオイル、そして控えめなニンニクと鷹の爪だけの一皿です。
少し贅沢な所ではパルメザンチーズがたっぷり掛かってたりしますが、基本的に南イタリアの料理は粉チーズを使いません。
パルメザンは特にシチリアの人々にとっては高価なチーズで、それの代用としてパン粉をまぶしたりします。これはこれで大変食感を良くし、料理に香ばしさももたらします。
以前にも書いた様に、シチリアのパスタ料理は一皿に余りたくさんの食材を使いません。それはその食材の良さを充分に引き立てたいからです。それからするとこのスパゲッティ・ポモドォモは理想的と言えましょうか。とにかくトマトを最も美味しく頂く料理の筆頭に私は挙げたいくらいです。
少なくとも、シチリアン・トマトの美味さをごっつり頂ける一皿に違いありません。余計な食材で邪魔を受ける事無く、濃縮されたトマトの醍醐味を堪能出来ます。
私はもし次ぎこの地に来れたとしたら、これだけを腹がはち切れる程食ってみたいです。その他魅力的な魚介料理はまた翌日にでもすればいいのだし。
2012年03月08日
イタリア,食い倒れの旅16シチリア・カターニァ編
国立考古学博物館での見学を終え、ナポリの下町の界隈に戻って来た私たち。
ちょっと遅目のお昼に、適当に入ったレストランでこんなピッツァを頂きました。
マルゲリータとアンチョビとハム、それにアーティチョークを四分割のクワトロにしてもらいました。
お味はなかなか、さすが本場のピッツァですねぇ。やはり生地は塩気が強く、もっちり感があります。昨日食べたダ・ミゲーレのとは特に生地の食感に違いがある様に感じました。
同じナポリの店でも食べてみれば、その店なりの味があり、ひとくくりにナポリ・ピッツァとは言えない事に気付くのです。
ここのビザも良かったですが、やはり自分的には昨夜のミゲーレ・ピッツァに軍配を上げない訳には行きませんか。
それでも感激の美味さ! これでナポリで食べるピッツァも食いおさめ、となりました。
昼食の後はサンタルチア港まで戻って辺りをぶらぶら歩き。
もともとナポリはこのサンタルチアのみの小さな漁村だったらしく、始まりは漁を細々営む海辺の寒村だったようで。
象の鼻で港を始めて、やがて発展して行った横浜に通じるところがあるでしょうか。
サンタルチア港は今ではヨットハーバーとなり、漁船はもちろんの事、貨物船や客船などの大型の船舶の姿はありません。
後者を扱うのはその向こうに見えるナポリ港。巨大なクルーザーが目に留まります。先日座礁事故を起こした「コスタ・コンコルデア号」か、もしくは同様の船だと思われます。
サンタルチア港は観光客向けね魚介類を食べさせるレストランが多数あり、こんなところで海の幸のパスタなどを食するのもいいでしょう。
しかし味の方は多少なりとも「お客さん向け」の趣になっていると思われますが。
ホテルに預けてあった荷物をピックアップし夕方にナポリ港に行き、6時にシチリア島はカターニァ行きのフェリーに乗船。予定どおり7時きっかりには出航しました。
懸念していたインターネットサイトの怪しい翻訳機能を利用した予約の変更手続きもしっかり手筈がとの乗っていたようで、無事乗船する事が出来たのです。
今回の旅は完全なる個人旅行で、宿や移動の事前予約の全てをネット経由で行いました。
これまでのところ何の手違いもミスもなく、これってある意味、想定外の驚き。
失礼な話し、イタリア旅行とは思惑を裏切られて困った事態に遭うのが「ふつう・・・」と覚悟してたくらいだったのですが、取った予約は全て滞りなく、とくに嫌がらせや意地悪等の不愉快もなく、むしろ子連れて行く先々みなさん大変親切にしてもらって優遇された程なのでした。
これなら逆に子連れの旅の方が勝手がいいぞ・・・なんて思ったくらいでした。
イタリアの皆様、大変お世話になりました。 Grazie Grazie!
さあ、船にも乗り込み、イタリア本土とはこれでしばらくサヨナラです。
そしてこの旅行でトスカーナの次くらいに楽しみにしていたシチリア島に渡るのです。
太陽の国、シチリア。いったいどんなところなのかなぁ・・・・・?
フェリーではキャビンを取ってゆったり一晩過ごせました。船はどこもこざっぱりとして清潔。
乗客は船の大きさからすると少な過ぎる位に思ったのですが、お客さんの殆どは長距離トラックのドライバーさんたちだったようで。
家族連れなんて私たちくらい。
夕食をするのに食堂に行くと、なんかガタイのいいちょっと強面のおっさんたちが多数テーブルを囲んで食事してます。
私はてっきり「おお、これがかの有名なシチリア・マフィアかな・・・?」などと無責任な想像をしてたのでしたが、ゴメンナサイ、皆様。
船は何事もなく、これまた定時にカターニァに到着。多分、朝の7時とかだったでしょうか。
スーツケースをゴロゴロ転がし港から歩いてカターニァ駅まで行き、駅の荷物預かりに荷物を預け、カターニァの街の散策に出る事にしました。
この日は予定で午後よりレンタカーを空港で借り、その足で海のリゾート地、タオルミーナまで行って宿泊する事になっています。
なので午前中はせっかくだからこの街を見てみましょうかと。なんせパレルモに次ぐシチリアの都市だそうですから。
朝早いのもあって人気はまばらで、到着する列車もなし。長い長い貨物列車が一度通り過ぎて行ったっきり。
なんとなうらびれた印象の、ある国の端の果てにある終着駅・・・なんて雰囲気がよくあってるかな。 なんて失礼ですな。
ちなみに向こうに見える海はイオニア海。この先にマルタ島があり、その向こうはもうアフリカ大陸。
ああ、世界は広いなぁ・・・・・・。
とりあえず駅のラゲージサービスに荷物を置いて、徒歩で街の中心部に向かいました。
この日は朝方降っていた雨が上がりはしたものの、ちっとばかしどんよりした曇り空。太陽の国シチリアの色鮮やかさは少しも感じられず、その上ここカターニャは、どことなく若い時分に放浪の旅をした南米の街を彷彿させるのです。猥雑さと車の排ガスでなのか、すすけて色彩の乏しい街並。
まぁ、それはそれで趣があるのですが・・・。
こんな街・・なんて言ったら失礼極まりないのですが、先シーズンまでサッカー・セリエAのチーム、カターニャに十代の内から何年か所属して頑張っていた森本選手は、まぁなんて殊勝な事と思わずにはいられません。
ほぼ地球の裏側の国の、更に果ての果て。文化も習慣も言葉も違う土地で日本の若者が実力主義の世界で渡り合って行くなんて・・・想像に難しい。
うちのセガレくんが将来そんな事をやらかすなんて月が2つに増えたってありっこネェよなぁ、ってとは想像つくのですが。
イタリアはカトリックの国。南下すればする程その信仰の強さが顕著になって来る様に見えます。
上に写っているカテドラルはカターニャのドーモ。イタリアの街はどこでもドーモをこしらえてあるようで、つまりそこがその街の中心となるのです。
中に入るとその立派な作りに圧倒されます。北の裕福な都市と比べ、南の、特にシチリアなどはあらゆる事で質素倹約に努めているのですが、こと教会には惜しみなくつぎ込む様でして。
大理石や金細工、それにマリヤやイエスの大きなブロンズ像、壁画に巨大なシャンデリアなどが目を引きます。
撮影禁止なのでお見せ出来ないのが残念。是非ご自分の足で旅してみてはいかがでしょう。
ドーモの前は大抵どの街も広場になってまして、ここも例外なく。その広場の中心にはこんな建立物があります。
ナポリにはヴィスヴィオ、それに比肩するがごとくカターニャにはエトナ山と言う活火山があります。世界的にも有名な度々噴火を繰り替えず山でして、十七世紀には大噴火と地震によってカターニャはほぼ壊滅。十九世紀になるまで街の再建が進められなかった程被災したのです。
それでこの象の像なんですが、まぁアフリカも近いので象が昔持ち込まれていたのでしょう、なんの理由かは知れませんが、何時しか象がエトナの噴火から街を守ってくれる、と言う信仰が出来た様です。
なのでこの街の象徴として崇められる、との事です。
それではぼちぼちランチタイムってことで向かった先は、やはりこんな城壁に囲われ守られた外を歩きますと・・・・・
たまたま日曜日だったので、えらくちんまりしてた市場のすぐそばにあるオステリア「アンティカ・マリーナ」にたどり着きました。
お店の規模はラテス席合わせ、せいぜい5・60席位でしょうか、余り大きな店ではありませんが、ここはヨーロッパ中の食通に知られた美味い魚介類の料理を食わせるレストランなのだとか。だから直ぐに満席になっちゃいます。
私たち昼の開店時間まで余裕があり、時間つぶししてたくらいだったので、半時間程早く行って席を3つ押さえておきました。と入っても我が家の息子くん、昨夜の初めての船の個室、しかも二段ベッドに大興奮していささか寝不足。なので食事中はずっとおネンネだったのですが。
こんな時こそせっかく海の幸の名店に来たのだから、ちゃんと食べておいてほしかったのですがねぇ。
さてお時間になって無事席に着けて、ではどんなもんを食べましょうかとメニューを下さいと言うと・・・・・
「日本語のメニューもありますが、ご覧になりますか?」と。
妻と顔を見合わせて「ええ、ではせっかくですから見せて下さい」なと。
内心、たとえシチリアの魚介の名店とは言え、わざわざ日本人用にメニューをこしらえる程日本人が食いに来るんかい?って疑問に思っていたのですが、持って来てもらったその日本語版メニューを見てみると、なにやらかなり怪しい日本語が・・・・・・・・。
まじめに読むとところどころ吹き出しちまいそうな表現もあって。
これ、なんてことありません。インターネットの自動翻訳サービスを使ってそのままプリントしただけのものの様です。チェックも添削も無しのシロモノ。まともに読むとけっこう笑えるのです。
でもまぁ、なんとか伝えたい事は掴めるので、「信じられない前菜」とやらと、魚介のパスタを2種類、それにテーブルワインを注文。
オーダーを取る時ギャルソンさんが何やら「なんチャラかんチャラ」言っとったとのですが、よく意味が分からず、「ではいいですよ、お任せします」と言ったのが多分伝わってなと思うのですが、後で知ったのは、この店はパスタを店のその日の事情でお任せで頼むと、いろいろ創意工夫でメニューにないものを作ってくれるそうです。
ああ恐らく、それを言ってくれてたのかなぁ・・・なんて今になって思うのです。 残念でした。
運ばれて来たアンティパストは様々な魚介類や野菜など、生あり、湯がいたのあり、マリネありと、小皿で10近くあったでしょうか、出て来ます。ただ普通に食べても美味いのですが、まぁ明らかに日本人的に言えば「酒のつまみ」的な品々。見た目にも食欲を刺激します。
言わばシチリアの食文化の真骨頂なのかも。様々な小皿を突っつきなが美味いワインを飲む。で、充分飲んだら〆でパスタ。まだ食えれば更にメインデッシュを・・・なんて感じなのでしょう。
ワインが好きなので、それをより美味く飲む為にいろいろ工夫をして行って、おつまみの種類が豊富になっていったのだと思います。
美味しかったのですが、食べるのに夢中になって画像を撮り忘れて・・・・・・。
こちらは海の幸のパスタ、Pasta ai frutti di mare。日本的に言えばボンゴレ・ビアンコ。こちらの方が馴染みがあります。
ちなみにボンゴレ(vongole)はアサリや蛤などの二枚貝の複数形の単語で、ビアンコ(bianco)は白の意味。
だからつまり、オイルソース仕立ての二枚貝のパスタ、と言う事。これがボンゴレ・ロッソ(Rosso・赤)となればトマトソース・ベースのパスタ・・・となる筈なのですが、実は実は、南イタリア、特にシチリアでは、トマトソースで魚介類のパスタを作るなんてことは滅多にないのです。
あるレストランでリクエストがあったらなんでも忌憚なく・・・と言われたので「ではトマトソースで何か魚介のパスタを作って下さい」と言ったら「それは出来ない」とむげもなく断られてしまいました。
「なんで出来ないの?」と尋ねると・・・「そんなものは未だかつて作った事かないし、これからも作る事はないだろう」と言い退けました。
つまり「我々にはそんな食習慣がない」との事です。
魚介類の料理にパルメザンチーズを振りかける日本人が気味悪がられるのは知ってましたが、トマトソースもタブーだったとは・・・・・。
ちょっと、と言うか、かなりビックリ!
自分的にはシチリアの味の濃いトマトで味付けした地中海の海の幸のパスタを食べること、それを行く前から心待ちにしていたのでした。
が、それは間違った食文化ですと地の人に言われたのです。
まぁ確かによくよく考えてみれば、強烈なシチリアの太陽をたくさん浴びて育ったこの地のトマトは、それ本来の味がとっても濃密で、それ故もしこれを魚介類に合わせてしまったとしたら、海の幸の旨味をぼやかしてしまう事でしょう。
海外の観光客しか来ないレストランではトマトベースの魚介類料理を出す様なのですが、そうした料理は大概さまざまな種類の貝だの甲殻類だのがてんこ盛りになってます。
しかしイタリア人が地元で通う店では、特にパスタ料理のメインの食材はだいたい一種類です。あれもこれもとはやらないのですね。
美味いものは、それを一番美味く食べる術を優先するからでしょう。
ひとつの料理に多くを求めず、まだ食い足りなければもう一皿注文するのです。それがイタリア流。シンプル・イズ・ベストかぁ・・・
こちら見ての通り、イカスミのスパゲッティー。
まぁ特に取り立て驚く程の違いは発見出来なかったのですが、こちらもイカの身が幾ばしか入っている程度で、その他は至ってシンプル構成です。
余りイカスミのパスタとは関係ないのですが、先入観として南イタリアのパスタ料理はたいそうニンニクと唐辛子がガツンとどれも効いているのかと思っていたのですが、これもまた以外や、どこで食べても確かに両方それの存在は解るのですが、ニンニクの香りにむせて、唐辛子に舌をピリピリさせられる・・なんてパスタはどこにもありゃしないのでした。
その料理にはその皿のメインになる食材があり、それを生かすのが優先事項で、なにもペペロンチーノの豪華版を食べに来てる訳ではないのです。
しかし我々はそのベースからパスタ料理を考えてしまうクセがついてしまっているのかも知れません。
カルチャー・ショックをいい感じで受けて、いろいろ勉強になる旅だったのでした 丸
ちょっと遅目のお昼に、適当に入ったレストランでこんなピッツァを頂きました。
マルゲリータとアンチョビとハム、それにアーティチョークを四分割のクワトロにしてもらいました。
お味はなかなか、さすが本場のピッツァですねぇ。やはり生地は塩気が強く、もっちり感があります。昨日食べたダ・ミゲーレのとは特に生地の食感に違いがある様に感じました。
同じナポリの店でも食べてみれば、その店なりの味があり、ひとくくりにナポリ・ピッツァとは言えない事に気付くのです。
ここのビザも良かったですが、やはり自分的には昨夜のミゲーレ・ピッツァに軍配を上げない訳には行きませんか。
それでも感激の美味さ! これでナポリで食べるピッツァも食いおさめ、となりました。
昼食の後はサンタルチア港まで戻って辺りをぶらぶら歩き。
もともとナポリはこのサンタルチアのみの小さな漁村だったらしく、始まりは漁を細々営む海辺の寒村だったようで。
象の鼻で港を始めて、やがて発展して行った横浜に通じるところがあるでしょうか。
サンタルチア港は今ではヨットハーバーとなり、漁船はもちろんの事、貨物船や客船などの大型の船舶の姿はありません。
後者を扱うのはその向こうに見えるナポリ港。巨大なクルーザーが目に留まります。先日座礁事故を起こした「コスタ・コンコルデア号」か、もしくは同様の船だと思われます。
サンタルチア港は観光客向けね魚介類を食べさせるレストランが多数あり、こんなところで海の幸のパスタなどを食するのもいいでしょう。
しかし味の方は多少なりとも「お客さん向け」の趣になっていると思われますが。
ホテルに預けてあった荷物をピックアップし夕方にナポリ港に行き、6時にシチリア島はカターニァ行きのフェリーに乗船。予定どおり7時きっかりには出航しました。
懸念していたインターネットサイトの怪しい翻訳機能を利用した予約の変更手続きもしっかり手筈がとの乗っていたようで、無事乗船する事が出来たのです。
今回の旅は完全なる個人旅行で、宿や移動の事前予約の全てをネット経由で行いました。
これまでのところ何の手違いもミスもなく、これってある意味、想定外の驚き。
失礼な話し、イタリア旅行とは思惑を裏切られて困った事態に遭うのが「ふつう・・・」と覚悟してたくらいだったのですが、取った予約は全て滞りなく、とくに嫌がらせや意地悪等の不愉快もなく、むしろ子連れて行く先々みなさん大変親切にしてもらって優遇された程なのでした。
これなら逆に子連れの旅の方が勝手がいいぞ・・・なんて思ったくらいでした。
イタリアの皆様、大変お世話になりました。 Grazie Grazie!
さあ、船にも乗り込み、イタリア本土とはこれでしばらくサヨナラです。
そしてこの旅行でトスカーナの次くらいに楽しみにしていたシチリア島に渡るのです。
太陽の国、シチリア。いったいどんなところなのかなぁ・・・・・?
フェリーではキャビンを取ってゆったり一晩過ごせました。船はどこもこざっぱりとして清潔。
乗客は船の大きさからすると少な過ぎる位に思ったのですが、お客さんの殆どは長距離トラックのドライバーさんたちだったようで。
家族連れなんて私たちくらい。
夕食をするのに食堂に行くと、なんかガタイのいいちょっと強面のおっさんたちが多数テーブルを囲んで食事してます。
私はてっきり「おお、これがかの有名なシチリア・マフィアかな・・・?」などと無責任な想像をしてたのでしたが、ゴメンナサイ、皆様。
船は何事もなく、これまた定時にカターニァに到着。多分、朝の7時とかだったでしょうか。
スーツケースをゴロゴロ転がし港から歩いてカターニァ駅まで行き、駅の荷物預かりに荷物を預け、カターニァの街の散策に出る事にしました。
この日は予定で午後よりレンタカーを空港で借り、その足で海のリゾート地、タオルミーナまで行って宿泊する事になっています。
なので午前中はせっかくだからこの街を見てみましょうかと。なんせパレルモに次ぐシチリアの都市だそうですから。
朝早いのもあって人気はまばらで、到着する列車もなし。長い長い貨物列車が一度通り過ぎて行ったっきり。
なんとなうらびれた印象の、ある国の端の果てにある終着駅・・・なんて雰囲気がよくあってるかな。 なんて失礼ですな。
ちなみに向こうに見える海はイオニア海。この先にマルタ島があり、その向こうはもうアフリカ大陸。
ああ、世界は広いなぁ・・・・・・。
とりあえず駅のラゲージサービスに荷物を置いて、徒歩で街の中心部に向かいました。
この日は朝方降っていた雨が上がりはしたものの、ちっとばかしどんよりした曇り空。太陽の国シチリアの色鮮やかさは少しも感じられず、その上ここカターニャは、どことなく若い時分に放浪の旅をした南米の街を彷彿させるのです。猥雑さと車の排ガスでなのか、すすけて色彩の乏しい街並。
まぁ、それはそれで趣があるのですが・・・。
こんな街・・なんて言ったら失礼極まりないのですが、先シーズンまでサッカー・セリエAのチーム、カターニャに十代の内から何年か所属して頑張っていた森本選手は、まぁなんて殊勝な事と思わずにはいられません。
ほぼ地球の裏側の国の、更に果ての果て。文化も習慣も言葉も違う土地で日本の若者が実力主義の世界で渡り合って行くなんて・・・想像に難しい。
うちのセガレくんが将来そんな事をやらかすなんて月が2つに増えたってありっこネェよなぁ、ってとは想像つくのですが。
イタリアはカトリックの国。南下すればする程その信仰の強さが顕著になって来る様に見えます。
上に写っているカテドラルはカターニャのドーモ。イタリアの街はどこでもドーモをこしらえてあるようで、つまりそこがその街の中心となるのです。
中に入るとその立派な作りに圧倒されます。北の裕福な都市と比べ、南の、特にシチリアなどはあらゆる事で質素倹約に努めているのですが、こと教会には惜しみなくつぎ込む様でして。
大理石や金細工、それにマリヤやイエスの大きなブロンズ像、壁画に巨大なシャンデリアなどが目を引きます。
撮影禁止なのでお見せ出来ないのが残念。是非ご自分の足で旅してみてはいかがでしょう。
ドーモの前は大抵どの街も広場になってまして、ここも例外なく。その広場の中心にはこんな建立物があります。
ナポリにはヴィスヴィオ、それに比肩するがごとくカターニャにはエトナ山と言う活火山があります。世界的にも有名な度々噴火を繰り替えず山でして、十七世紀には大噴火と地震によってカターニャはほぼ壊滅。十九世紀になるまで街の再建が進められなかった程被災したのです。
それでこの象の像なんですが、まぁアフリカも近いので象が昔持ち込まれていたのでしょう、なんの理由かは知れませんが、何時しか象がエトナの噴火から街を守ってくれる、と言う信仰が出来た様です。
なのでこの街の象徴として崇められる、との事です。
それではぼちぼちランチタイムってことで向かった先は、やはりこんな城壁に囲われ守られた外を歩きますと・・・・・
たまたま日曜日だったので、えらくちんまりしてた市場のすぐそばにあるオステリア「アンティカ・マリーナ」にたどり着きました。
お店の規模はラテス席合わせ、せいぜい5・60席位でしょうか、余り大きな店ではありませんが、ここはヨーロッパ中の食通に知られた美味い魚介類の料理を食わせるレストランなのだとか。だから直ぐに満席になっちゃいます。
私たち昼の開店時間まで余裕があり、時間つぶししてたくらいだったので、半時間程早く行って席を3つ押さえておきました。と入っても我が家の息子くん、昨夜の初めての船の個室、しかも二段ベッドに大興奮していささか寝不足。なので食事中はずっとおネンネだったのですが。
こんな時こそせっかく海の幸の名店に来たのだから、ちゃんと食べておいてほしかったのですがねぇ。
さてお時間になって無事席に着けて、ではどんなもんを食べましょうかとメニューを下さいと言うと・・・・・
「日本語のメニューもありますが、ご覧になりますか?」と。
妻と顔を見合わせて「ええ、ではせっかくですから見せて下さい」なと。
内心、たとえシチリアの魚介の名店とは言え、わざわざ日本人用にメニューをこしらえる程日本人が食いに来るんかい?って疑問に思っていたのですが、持って来てもらったその日本語版メニューを見てみると、なにやらかなり怪しい日本語が・・・・・・・・。
まじめに読むとところどころ吹き出しちまいそうな表現もあって。
これ、なんてことありません。インターネットの自動翻訳サービスを使ってそのままプリントしただけのものの様です。チェックも添削も無しのシロモノ。まともに読むとけっこう笑えるのです。
でもまぁ、なんとか伝えたい事は掴めるので、「信じられない前菜」とやらと、魚介のパスタを2種類、それにテーブルワインを注文。
オーダーを取る時ギャルソンさんが何やら「なんチャラかんチャラ」言っとったとのですが、よく意味が分からず、「ではいいですよ、お任せします」と言ったのが多分伝わってなと思うのですが、後で知ったのは、この店はパスタを店のその日の事情でお任せで頼むと、いろいろ創意工夫でメニューにないものを作ってくれるそうです。
ああ恐らく、それを言ってくれてたのかなぁ・・・なんて今になって思うのです。 残念でした。
運ばれて来たアンティパストは様々な魚介類や野菜など、生あり、湯がいたのあり、マリネありと、小皿で10近くあったでしょうか、出て来ます。ただ普通に食べても美味いのですが、まぁ明らかに日本人的に言えば「酒のつまみ」的な品々。見た目にも食欲を刺激します。
言わばシチリアの食文化の真骨頂なのかも。様々な小皿を突っつきなが美味いワインを飲む。で、充分飲んだら〆でパスタ。まだ食えれば更にメインデッシュを・・・なんて感じなのでしょう。
ワインが好きなので、それをより美味く飲む為にいろいろ工夫をして行って、おつまみの種類が豊富になっていったのだと思います。
美味しかったのですが、食べるのに夢中になって画像を撮り忘れて・・・・・・。
こちらは海の幸のパスタ、Pasta ai frutti di mare。日本的に言えばボンゴレ・ビアンコ。こちらの方が馴染みがあります。
ちなみにボンゴレ(vongole)はアサリや蛤などの二枚貝の複数形の単語で、ビアンコ(bianco)は白の意味。
だからつまり、オイルソース仕立ての二枚貝のパスタ、と言う事。これがボンゴレ・ロッソ(Rosso・赤)となればトマトソース・ベースのパスタ・・・となる筈なのですが、実は実は、南イタリア、特にシチリアでは、トマトソースで魚介類のパスタを作るなんてことは滅多にないのです。
あるレストランでリクエストがあったらなんでも忌憚なく・・・と言われたので「ではトマトソースで何か魚介のパスタを作って下さい」と言ったら「それは出来ない」とむげもなく断られてしまいました。
「なんで出来ないの?」と尋ねると・・・「そんなものは未だかつて作った事かないし、これからも作る事はないだろう」と言い退けました。
つまり「我々にはそんな食習慣がない」との事です。
魚介類の料理にパルメザンチーズを振りかける日本人が気味悪がられるのは知ってましたが、トマトソースもタブーだったとは・・・・・。
ちょっと、と言うか、かなりビックリ!
自分的にはシチリアの味の濃いトマトで味付けした地中海の海の幸のパスタを食べること、それを行く前から心待ちにしていたのでした。
が、それは間違った食文化ですと地の人に言われたのです。
まぁ確かによくよく考えてみれば、強烈なシチリアの太陽をたくさん浴びて育ったこの地のトマトは、それ本来の味がとっても濃密で、それ故もしこれを魚介類に合わせてしまったとしたら、海の幸の旨味をぼやかしてしまう事でしょう。
海外の観光客しか来ないレストランではトマトベースの魚介類料理を出す様なのですが、そうした料理は大概さまざまな種類の貝だの甲殻類だのがてんこ盛りになってます。
しかしイタリア人が地元で通う店では、特にパスタ料理のメインの食材はだいたい一種類です。あれもこれもとはやらないのですね。
美味いものは、それを一番美味く食べる術を優先するからでしょう。
ひとつの料理に多くを求めず、まだ食い足りなければもう一皿注文するのです。それがイタリア流。シンプル・イズ・ベストかぁ・・・
こちら見ての通り、イカスミのスパゲッティー。
まぁ特に取り立て驚く程の違いは発見出来なかったのですが、こちらもイカの身が幾ばしか入っている程度で、その他は至ってシンプル構成です。
余りイカスミのパスタとは関係ないのですが、先入観として南イタリアのパスタ料理はたいそうニンニクと唐辛子がガツンとどれも効いているのかと思っていたのですが、これもまた以外や、どこで食べても確かに両方それの存在は解るのですが、ニンニクの香りにむせて、唐辛子に舌をピリピリさせられる・・なんてパスタはどこにもありゃしないのでした。
その料理にはその皿のメインになる食材があり、それを生かすのが優先事項で、なにもペペロンチーノの豪華版を食べに来てる訳ではないのです。
しかし我々はそのベースからパスタ料理を考えてしまうクセがついてしまっているのかも知れません。
カルチャー・ショックをいい感じで受けて、いろいろ勉強になる旅だったのでした 丸
2012年02月18日
イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編
10月15日、ナポリ湾は快晴。海の先にはイスキア・カプリ島が眺められ、地中海には美しい青空が広がります・・が、何故か強風。それもかなりの。
朝目が覚め起きてみると天気が回復したのはいいものの、なんかイメージ外れのナポリくんです。しかもなかなか肌寒くって。
海沿いの道、サンタルチア通りからほど近いプレビシート広場から丘の上を見上げると、こんな感じの城塞らしきものが彼方に目に留まります。
左はその通りサンテルモ城と言いまして、十六世紀に建てられた六芒星型の頑丈そうな要塞です。防衛上の理由でこの様な形状にしたのでしょうが、俯瞰すると横に間延びしたダビデの星の様です。
右の建物は国立サン・マルティーノ美術館ですが、元は修道院だったようで。建設は十七世紀だそうで、バロック様式の最高傑作との評価を国内外から受けているのですが、大体この様な施設はあえてこうした高台の不便極まりない場所に作るのですね。
ここからの眺めはきっといいだろうと思い行ってみる事にしたのでしたが、たどり着いたその場所は、ああ確かに・・・と思わせる、生活には不便で孤立・隔離するのにもってこいのロケーションだったのでした。
広場近くにケーブルカー乗り場があり、それを使って終点まで約5分位だったでしょうか、途中は残念ですがトンネル内をずっと行くので景色は一切なし、で着いたその場所は丘の上、予想に反してわりと開けていて、まぁ言うならばナポリの山の手って感じ。生活レベルも下町よりは幾分おハイソな雰囲気です。
これは八百屋さんのディスプレイ、って訳ではないでしょうが、なんとなくお洒落ですよね。セイスがあると言うか。
途中大分方向を誤ったりしてウロウロし、風の強さにたじろいだりしつつなんとか城塞までたどり着き、入場料を払って入城しますと、まずエレベーターがありまして、それに乗っかって上にまで登るのです。エレベーターが遅いのか、もしくはかなりの高度を引き上げてくれたのか、感覚的には随分長い時間掛かって着いたのです。
でもまぁ、もちろん十六世紀にエレベーターがあった筈もなく、あと付けで設置した代物なんですが、こんな石造りの頑丈な建造物の中をくり抜いてそれをこしらえた現代人の営みも、なかなかどうして、中世に劣らず立派な事だと思ったのは私だけでしょうか?
城壁の上から眺める景色はこんな感じ。
そうです、ナポリを紹介す代表的な絵はみなここからの撮影だったんですね。
ナポリ港が一望出来、港の対岸にはヴィスヴィオ山がどっしり構えてます。
この山はナポリの景色を語る上では外す事の出来ないこの街の象徴的存在なのですが、日本と同じく多くの活火山を抱えるイタリア。地震も多く、時に大災害をもたらします。
2000年も前に大噴火を起こし、当時栄えに栄えていたポンペイを一夜にして火山灰の中に封じ込め、街ごとそっくりそのまま遺跡に変えてしまったのです。
標高1581メートル。ああ結構あるんですねぇ。富士山と同じく噴火によって屹立していった独立峰なのでよく目立ちます。
少し手前に目線を戻すと2隻の船が見えます。TTTと言う船会社のフェリーで、この日の夕方これに乗って翌朝にシチリア島まで運んでもらいました。
船中一泊の船旅は以前した事はありましたが、コンパートメントを取って過ごしたのは初めてで、とても快適、夜も良く寝る事が出来ました。室内には狭いながらもバス・トイレが付いいて、お湯もしっかり出ます。備え付けのバスタオルもあり。もう言う事なしの世界。
お値段ですが、そう高くない市中のホテル代に幾らか足した程度です。
そもそも船旅を考えついたのも移動時間を節約する為でした。当初は電車でのシチリア乗り込みを計画していたのでしたが、それだとお日様の高いうちに10時間以上も掛けての移動となります。
飛行機も考えたのですが、こちらはちと高くて断念。で、妻が思い付いたのがフェリーでカターニアに上陸しようと言う考え。
移動日昼間1日はたっぷり観光に費やせます。しかも宿代が一泊分節約出来、舟代はホテル代と比べてもそう高くありません。しかもまったく快適な個室での旅。これは使わない手はありません。
これは今考えても日程を丸一日得したと言う気分です。
はじめインターネットで電車を予約していたのでそれをキャンセルして船を予約したのでしたが、日付を翌16日で取ってしまいました。電車であればこれで良かったのですが、船は当日の夜に出航します。なので日付を同日にしなければ行けなかったのです。
ふと気になり見てみると妻が取った予約日付は16日。それで取り直ししなければ、となったのですが、でははたしてどうすればいいのか?
TTTのホームページには英語バージョンがありません。 と言う事は・・・多分、英語とかで日付変更を依頼するメールを送っても、見てもらえない可能性が高い。
とは言っても、我々はそんな込み入ったお手紙を掛けるだけのイタリア語の能力がない、と。
それで夫婦2人して考えに考え着いた結論は、とりあえず日本語でメールを書いて、それをネットの自動翻訳サイトで訳してもらって送るって事。
まぁとにかくやってみよっかって事で書いて訳してもらった文を、こんどはイタリア語の辞書を使って読み解いてみると、どうもなんだか随分と怪しいセンテンスになっている感じがします。しかしだからと言ってその他の手が思い付かないので、もういいエイやっ!と送信。
すると不思議と言うかなんと言うか、余り時間をおかずしてTTTさんより返信が届きました。
今度はそれをまた自動翻訳サイトで日本語に訳してもらって読んでみると、「日付の変更は完了しました」との内容です。まぁそれも随分と怪しい日本語なんでしたが、とりあえず目的ははたせたのかなぁ・・・と思う事にしました。
でも実際当日船に乗せてもらえるまでえらく不安だったのでしたが。 まぁ良かった、良かった。 しかしなんと便利な世の中になった事でしょうねぇ・・・。
教会の鐘の横辺りを見ますともう一隻船が停留しているのが判るでしょうか。
先日イタリアで「コスタ・コンコルディア」と言う巨大なクルーザーが座礁した大事故がありましたが、恐らくそれがこれ、もしくは同様の豪華客船だと思います。
宿を取ったサンタルチアからでもその船の巨大さぶりはよく判る程なのですが、夕方になって港に着いて真近で見ますと、それまるで水に浮かんだ大規模ホテルの様です。
客室は縦横に幾十にも連なり、無数の窓ガラスはさもきらびやかな光を放って、その内側の世界はどの様な夢が実現されているのかと、想像を掻き立てずにはいられません。
とにかくその巨大さ加減は、きっと私が横須賀で見た空母キティーホークなどよりデカかったと思います。子供の頃大桟橋で見たクイーンエリザペス2号なんてチャチに思えるくらい。
子供心に豪華客船とは大きければ大きい程に内容ともにデラックス、と思っていたのですが、事故による報道によって判ったのは、船を大型化して収容人数を増やす事により、一人当たりの客単価を下げ、船内で催わされるアトラクションもバリエーションを増やすと言う理論だったようで。
しかし一度事故を起こせばそれだけリスク管理も難しくなる訳でして。しかも今回は船長の気まぐれと不注意が起こしたとかで。
近くで見るとギョッとするような大きさです。あんなのが海の真ん中で横倒しになるなんて想像しただけでゾッとします。
城塞の上に出て、有名な言葉にある「ナポリを見て死ぬべし」の景色を眺めたのはいいのでしたが、なんせ風の強さが半端じゃありません。城塞の端に行ってゆっくり眺望してたいのですが、油断すると城壁下へ吹き飛ばされかねない程なのです。
私3000メートル級の、または海外ではそれ以上の標高の山の稜線でかなりの強風・突風にさらされて来ましたが、多分恐らくこの城塞上を吹き抜ける風の方がすごかった気がします。
余りの風の威力に、みぞおち位までの安全壁があるのにも拘らず、恐ろしくて際まで行けないのです。こんな風に始終晒されていて、城塞の石がゴロンとはぎ取られずに何百年も持ち堪えているのが不思議です。修復作業もするにするのでしょうが、なんせこの風に当てられたら作業のしようがありませんって。
城塞から降りたその後は近くでカフェをして体を温め。そして国立考古学博物館に向かいました。
山の手でバスに乗って丘を下り、途中でメトロに乗り換え駅を降りると真上が博物館でした。
しかしまぁ、この国の人は歴史の下に地下鉄を通すのが随分とお好きなようで。
わたし、正直美術には殆ど造詣がありません。興味もなくはないのですが、学校教育で最低限の基礎をオロソカにした結果、年代様式とかナンチャラとかが全く解らず、よって解釈の仕方に困ってしまって面白みがイマイチつかめなかったりするのですね。
でもまぁ、こうしたところに来るのは嫌いじゃありません。せいぜい息子には同じ轍を踏ませんとこ。
こちらは「アレクサンドル大王の戦い」と言う、超有名な美術品・・だそうです。5.83x3.13mもある大作で、言わばこの博物館の目玉商品の様なもの。
一番上の「アレクサンドル大王・・・」のも含め、上の作品はすべてポンペイやエルコラーノから発掘されたモザイク画です。みな2000年前に作られたものばかり。
2000年前に道具も限られたでしょう、色彩も豊かで細やかな美術品をこしらえるのには、さぞ手間ひま掛かったに違いありません。
見方を変えるならば、その当時の都市生活は、こんな事にお金や時間を費やせる程に文明文化レベルが高く、また経済的にも豊かだったのかなぁ、と想像させるのです。
気候は温暖で安定し、作物はよく育つ。戦争も当分なさそうで、円形競技場でクラディエーターたちの幾らか緊張感の欠ける演出された戦いを観戦する事で市民は満足。政治や経済の不満のカタルシスをそれに求めるには、世の中は余りに満ち足りて平和だったのでしょう。
そんなご時世には、こんな手の込んだアートがとかく流行るのですね。苦しい時代に心の叫びが求める彫刻や絵画などとは趣が違うと思います。なんかどっか牧歌的で、いい意味でマジメさが伝わってこないのです。
そんな事を考えつつ美術鑑賞の歩を進めていると、ちょっと趣が違ったセクションに行きた当たりました。
「GABINETTO SEGRETO(ガビネット セグレート)」
直訳するとするなれば、さしずめ「お便所のヒミツ」と言ったところ。
私の思うところによりますと、どうも欧州の言語は肌を晒す場所や行為を同一の単語で表す事が多い様な気がします。
どういう事かと言いますと、トイレやお風呂などは英語ですと「Bass」ですし、スペイン語ですと「Bano(バーニョ)」となります。
イタリアも南に下るとバーニョを良く使いますが、ガビネットはやや堅め目の単語。単純にトイレを言う時には余り使われない様なのですが、ここで何ゆえこの単語が出て来たと申しますと・・・・・・・・こんなヤツとか
あるいはこんなのとか
はてはこんなもんまで・・・・・
みな非常におバカっぽいのですが、すべて2000年以上前の文化レベルの高い民たちの生活の中で生み出されたものばかり、と言う事実です。余裕を感じさせます。
真鍮性の頑丈な扉で仕切られたその部屋は、建物の規模から言えばほんのひと区画に過ぎないのですが、置いてある品々はみな全て、こんなお下に関する作品ばかり。
まず扉をくぐると左手に成人男性の背丈を有に超す程の巨大な男根彫刻がそびえ立ってます。そのすぐ隣にパイプ椅子に座った30代と思しき学芸員がいるのですが、彼女何やら携帯で難しそうな顔して話してます。様子からすると、なんか事務的な用件で館内にいる他の職員とやりやっている様な感じで、こちらにはちっとも目もくれません。
そこを私と女房は6才のセガレの手を引いて何の場所なのかも解らず侵入してしまったのです。
若いカップルがひと組他にいて鑑賞しているのですが、はじめの内は美術鑑賞に徹しようと気構えているらしく、あえて2人とも厳しそうな表情を作っていたのですが、さすがに後半半分くらいになると互いにニヤニヤしだして、その後はもう可笑しくなったのか突つき合ったりして妙に嬉しそうなおツラ構えに変身。
そうそう、若ければそうでなくっちゃ。
我々家族が入って来た扉を出ると、やっと気付いたのか監視の学芸員は血相変え、その真鍮の重い扉をガチャンと閉めちゃいました。
ああやっぱり、子供を連れて入る所ではなかった様です。
ああでも、もう見せちまったよ全部。 その内ちゃんと性教育せんといかん時期が来るんだろうなぁ。
一通り回りますと、まあ〜あるわあるわの、よくぞ集めたなと言う案配。呆れるやら、逆にその当時の人々の遊び心に感心しなくもありません。
基本的に、人は2000年経ってもまぁだいたい同んじなのかな・・・と。
これらの作品群を通して見えて来るのは、当時の生活が豊かで平和で、そしていかにも楽しそうだったと言う事です。ある意味、理想社会だったのではないでしょうか。
にも拘らず、と言うかあるいは幸福が過ぎて神の怒りを買ったのか・・は知れませんが、ヴィスヴィオ山がある晩突然大噴火。大量の硫化水素が発生して、ポンペイ市民は分けも解らないうちにガス死したと言われています。そして生き物の息絶えたところには火山灰があっという間に堆積し、よって2000年のその時をそっくり封印したまま現在遺跡を残したのです。
わたし思うに、一寸先は知れたもんじゃありません。ならば今この時を生きようと。
そう、思い立ったが吉日。やりたい事があるなら、今がその時です。多少の犠牲は目を瞑るりましょう。
と言うワケで、仕事ずる休みをしてイタリアまで来た自分の行為を遺跡にかこつけ正当化するBrewmanだったのでした 丸
2012年02月04日
イタリア、食い倒れの旅14スリにはご注意編
ナポリと言う街は、我々外国人が単純に思い描く「イタリア」を、最も体現してくれているのかも知れません。
食道楽の街であり、喜怒哀楽がストレートな市民性、猥雑な下町情緒。取り方によって良くも悪くも解釈出来るでしょう。
実際に旅をして体験した事を、どう意味付けするか・・・・・・。
私がナポリを訪れた初日に経験した事は、結果として事なきを得たとは言え不愉快で腹立たしいと言えはそうだし、いかにもナポリらしいディープな体験だったと思えば、ただの通りすがりの旅行者の域を超えた忘れ難き旅の思い出ともなりましょう。
昼過ぎにローマから特急でナポリに到着したのは午後の3時過ぎだったでしょうか。サンタルチア近くに取ったホテルで荷を解いてしばらくくつろぎ、街に出た頃にはもう空が暗くなり掛かってました。
ミラノ程の規模ではないのですが、ナポリにも立派な美しいアーケード街、ガレリアがあります。そこでちょっとお茶を。
最近まで知らなかったのですが、エスプレッソ・コーヒーはナポリが発祥なんだそうです。何時頃から始めたのかは知りませんが、当時はどうやって高圧スチームを作りコーヒーの抽出をやっていたのでしょうか。もちろん今の様なマシーンがあった訳ではないでしょうに。
ナポリ人はローマの街で良く見掛ける様なカウンターでちょいとカフェやアルコール類を立ち飲み、なんて事は余り好まない様です。
カフェは基本的にテーブル席で、ギャルソンがコーヒー一杯からきちんとサーブしてくれるスタイルを貫きます。はっきり言ってちょっと堅苦しい感じ。
一杯のコーヒーに甘いパントーネがサービスで付いて来るのが当たり前の様で、そうこれで思ったのは、あえて言うならこの街は名古屋が近いかな・・・と言う事。サービス精神が旺盛で、派手過ぎ、見栄っ張り、なんてところ? 実のところ名古屋よく知りません。
サービスされればそれなりのモノを要求されるのが筋。チップは他の街よりやや多目に置かざるを得ない雰囲気です。
ああ、たかがコーヒー一杯。なんかめんどくさいなぁ、なんて思ったり。
まぁ、善し悪しかな。
ガレリアをササッと見学してバス停に向かう途中に用足しでマクドナルドに立ち寄ります。
そうイタリアは公衆便所やその他用が足せる所が極端に少ないのですね。地元の人はカフェのトイレを拝借して・・なんて事をするのが普通みたいなのですが、日本人的感覚ではお茶の一杯も飲まないと気兼ねがあります。まぁ最近はコンビにで用足しだけで利用なんて事も時にあるのですが。
マックに立ち寄ったのはもうひとつ理由があります。Wi-Fiスポットを使わせてもらおうとの魂胆です。しかしこれは上手く行きませんでした。
出国前、ヨーロッパはいたる所に公衆Wi-Fiがあり、街中ではデータローミング・オフの状態でも自由にネット接続が出来ると聞いて来たのでしたが、実際様々な所で無線LANの表示が出るのでしたが、自分の端末で繋ぐには登録がその度に必要なようで、またそれを試みてもそう簡単には上手く行かないのでした。
登録事項が長々とあって面倒で、しかもそれが英語バージョンがなかったりで、推測で進めると結局つまずく・・と言う結果に。
殆どのホテルはWi-Fiが利用可能です。フロントに尋ねると日ごと変わるアカウントとパスードを印字したもので渡してくれます。
ヌオーヴォ城近くのムニチーピオ広場から市バスに乗ってナポリの下町、スパッカ・ナポリにあるピッツァの店、ダ・ミゲーレに向かったのは6時半くらいだったでしょうか。
バス停でしばらく待っていたのですが、夕方のラッシュ時なのか、そこでかなりの人がいて、やって来たバスは既にすし詰め状態。乗るのを躊躇する程の混雑です。
満員状態のバスに乗り込み走り出すと、やけに親切にしてくれる40代と思しきおじさんがしきりに私たちを座らせようと計らってくれるのですが、既にバスは満員御礼。その方、仕舞いには座ってる地元民を立たせ様とまでしてくれます。
おお、それはさすがに流石に申し訳ないぞ、とおじさんを制して。
幾つかバス停に止まった時降り客が出たので空いた席をおじさん素早く確保して妻とセガレを座らせてくれました。
私は立ったままでしたが一先ず安心、後はどの辺りで降りたら一番都合がいいかな、と思いガイドブックの地図でも見ようかと考えていると、私の右隣にいかにも怪しそうな若い男が混雑してるとはいえ不自然に体を寄せて来ます。
バスはウンベルト一世通りをひた走ります。
すると今度は左隣に少し年配の紳士風の男が「申し訳ありません」などと言ってグイグイと押してくるのです。これもどう考えても不自然な動き。そしてはたと気付けば真後ろから少なくとも男2人がピタリと体をくっつけ、つまり完全に私を囲って動けなくしているのです。
自分の前は座席で、なのでもう逃げ場が無い状態。
「おお、これってオラ狙われてるっぺよぉー」
そうです、完全にスリ集団のターゲットになっているのです。
スリにもきっと様々なやり口があるのでしょう。一般に知られているのは巧妙な手口で相手に知られず財布を抜き取る、なんてもの。
しかし私が遭遇したのはどうやらその手の向きではなさそうです。ターゲットを複数で挟み込んで逃げれなくして、むしろ積極的に危機感を煽って動揺させる・・・との作戦の様です。
私は自分が体験して、ああなるほど、日本人にはこの手のやり口が効果的なんだろうなと思いました。
私たちは一般に公衆の面前で事を荒立てたりするのを嫌い、多少の事は我慢しがちです。しかもそれが慣れない外国だったりしたら尚更。
相手が多少妙な奴だと思っても、はっきりと実害が及ぶと確信出来なければ、反撃行動をとる事に躊躇します。実はそれが狙いです。
また恥を嫌う国民性。人前で動揺してるのを取り繕うとしちゃいます。ホントは心臓バクバク、膝が笑いそうになれば成る程、普通層に装うなんて馬鹿な事をしてしまうのです。それも相手の思うつぼ。取り繕うとすればする程隙が生まれるのです。
スリたちにしてみれば、きっと我々は美味しいお客さんでしょう。高度な技術が必要とされるオーソドックスな手口の抜き取りよりも楽で確実。しかも相手はおとなしいと来てる。
きっと彼らは私たちがバス停で待っている時から狙いを絞っていたのでしょう。ガードの甘そうな、子連れ外国人観光客。「カモがネギ背負って」っと見えたに違いありません。プロの手に掛かれば楽でないにしろ「落とせる」確率の高いターゲット。
今思えば妙に親切なおじさんが妻と子供を座らせてくれたのには大変助かったのでした。
いったい彼は何者だったのでしょうか?
初め私は余りにも親切なので彼を疑っていた程でした。でもきっと、そこまでスリの巣窟の市バスだと知らぬ外国人ツーリストを単純に保護してくれたに違いありません。
悪もいれば、善き人もいる。谷深ければ、山も高くなるのでしょう。そんな風に考えれば、ナポリと言う街はとても人間臭い魅力を持っているとも考えられるのです。
さてピンチに陥ったわたし。さてどうしましょうか?
私とて日本人、正直かなり動揺していたのです。にも拘らず、平静なフリをしたりして・・・・・・。
とりあえずショルダーバックの前のポケットのファスナーはしっかり右手で押さえました。そこに財布がしまってあります。
私はブロのスリとは財布か現金しか取らないと、勝手に思い込みしていたのですが、甘かったのです。
バックのメインの部分には、この旅行に合わせて購入したばかりのビデオカメラとスマホがしまってあります。そこは無防備。
バスは街の幹線道路ウンベルト一世通りを北東に真っすぐ進みます。
スリ集団の四五人の男たちは左右後方からバスの揺れに合わせるフリをして肘や肩を押し付けたり、大袈裟に体を寄せたりし続けています。
更なる動揺を誘い、結果として注意力の散漫を仕掛けて来ます。
座席に息子と座っている妻がこの時「バックに来お付けて!」と声を掛けました。
「おお、さすが我が女房。この危機を察しているのだな」なんて思ったて後になって尋ねれば、夫のピンチなんぞまったく気付いていなかったと・・・・・・。 ああ、なんだよぉー
今思えばもうこの時、盗まれる心配のある物は面子もかなぐり捨てて、しっかり両手で胸に抱え込んだら良かったのです。もっといいのは、囲われているのは判っていたので、その輪の外に無理矢理にでも脱出するのがベストの選択だったのです。
しかし心のどこかにスリに怯えてみっともなく用心深くなってる観光客・・・と周囲に見られるのが恥ずかしい、なんて心理と、こんなに込んでるバスの車内で人を押しのけ移動したとして、もし今自分を囲んでいると思っている人々が、実はスリなんかじゃなくただの乗客だったら気を悪くするんじゃないか・・・なんてためらいが少なからず働くのです。
こうした心理はよくよく後で考えれば、動揺すればする程現状否認と逃避をしてしまいたい、と言う心の働きがあったから、と言う事が判るのでした。
しかし危機の最中、経験が無ければ知れたもんじゃないのです。
私は目線をバスの窓から街の景色を眺めているのですが、意識は自分の持ち物に集中させようと努めています。
けど周りの圧迫感から集中力を削がれる思いです。
なんとか気を切らず目的地近くに早くバスがたどり着かないかな・・と思っていた次の瞬間、ショルダーバックのメイン・ファスナーがジーッとした感触をさせ開けられて行くのを感じました。
私はすかさずファスナー部分をつり革を持っている手を離してサッと押さえに掛かりました。
するとゴツっとした男の手が一瞬手に降れ、素早くその手が引っ込められたのです。
この時の私の心拍は相当高くなっていました。
嗚呼もうこうなったら疑いも間違い無し、と思い、力ずくで右隣の男を押しのけ、男たちの作ったサークルの外に脱出したのでした。
この頃になると周囲の他の乗客も大方気付いてしまっていたようで、スリの集団に避難の目を向けています。
男建ちは次のバス停ですごすごまとまって降りて行ったのでした。
再びバスが走り出すと面白い事に残った乗客たちはまるで我が事の様にピーチクパーチク事の一部始終を騒ぎ立てている様子でした。
妻子を見るとどうもよく判っていなかった感じ。
2人を真っ先に座らせてくれた親切なおじさんは(って、自分ももういいおじさんなんですが・・)厳しい目で真っすぐこちらを見ています。
もしかしたら私が何かしら盗られたのではないか・・と心配してくれていたのではないでしょうか。
それからそう経たない内、妻が「多分この辺りで降りればちょうどいい筈」と言うのでいそいそと下車。
おり際にかの紳士に「Grazie mille!」と言い残して来ました。
ああホント有り難う。あの方がいなくって妻子が座れていなければ、十中八九やられていたでしょう。
妻と息子に気を配り、自分の持ち物をガードする・・なんて事はきっと無理でしたから。
しかしまぁ、こんなディープなイタリア体験が出来るなんて、なんかホントにイタリアっぽい・・・なんて言ったらイタリア人に怒られまっせ! でも何事もなく良かったよ。と思えばこれもまた旅のいい思い出、となるのでした。
私は現場でバックの口を押さえておけば、おおかた大丈夫だろうなんて思っていたのですが、気になって帰国後ネットで調べてみれば、荒手のスリさんたちは手術用のメスの刃を使って、殆ど気付かれない内にバックに切れ込みを入れ内容物を抜き取る手口を使う様です。
自分も一度だけオペ用のメスを手にしたことがあるですが、この刃は今では使い捨ての物があり、大変切れ味が鋭いのです。革製品やデニムなどでも上手くすれば気付かれずに切り裂く事が可能で、ましてや旅行用に多く出回っているナイロン時のポーチやショルダーバックなどは簡単に大きな穴が開けられるのです。
私もそれでやられていたらきっと気付かなかったでしょう。
どうぞご用心を!
その他スリの手口として多いのは、レストランやカフェに座った時、椅子の背もたれに脱いだ上着やバックのストラップを掛けて食事や会話に夢中になっている隙に、お隣のテーブルに付いた者が自分と背中合わせに座って、同じ様に椅子の背もたれに掛けた自分の上着のポケットを探るフリをして、こちらのバックの中身や上着のポケットをまさぐって財布やカメラなどを抜き取る・・・と言うやり口。
これは映像などでみれば気を付けていれば防げそうに思えるのですが、実際旅行してみるとけっこうガードの甘くなるポイントなのです。
歩き疲れてホット一息カフェで。あるいは楽しみにしてた地の料理に舌鼓、または観たものの感想を夢中になって話したり。
でも一番はちょっとめんどくさくなって油断しちゃうのです。席に余りがなければ膝に抱えているか、もしくは座った椅子に掛けて置くくらいしか手がないのですから。
フロアーに直接置いておくのは嫌だし、膝に荷物や上着を乗せていてはくつろげないので、となると椅子の背に・・と言う事に。
では貴重品は抜き出しておいてテーブルに置けばいい、なんですが、食事の時に見た目も目障りだし、他のお客さんがもしかしたら不快に思わないか・・・と心配すれば、けっきょく面倒だから椅子の背もたれでいいか、となりがちなのですね。そうとくに海外旅行ではいろいろ不慣れもあって疲れますし。
でもまぁ、皆様、お出掛けの際はくれぐれもご用心を。
2012年01月26日
イタリア、食い倒れの旅13ピッツア編
コロッセオを充分見学した後は、古代ローマ時代の政治・経済・商業の中心であったフォロ・ロマーノをサラッと散策。
時代にして3世紀から6世紀頃と言われてますから、当然辺りは遺跡だらけ。
正直わたし、遺跡とかは判らんとですよ。あまりピンとこないと言うか、まぁつまり教養の問題なんでしょうねぇ。
過去のある時代の、人々の営みややらかした事件とかに、思いを馳せ、そこに人間の壮大なドラマを手前勝手に空想する、ってのは大変な知的エクササイズと言いましょうか、高尚な趣味と言えましょうか。
ああだだ残念、我が輩にはその手の才能がありませんですよ。
こちらは何かにつけよく話しに出て来る元老院だったっけな。ごめんなさい、未確認です。何分歴史音痴でして・・・。
帰り道は地下鉄「コロッセオ」と言う駅から乗車。宿に帰って荷物をピックアップ。その足でローマ駅に向かいました。
ちなみにこの地下鉄がコロッセオの真下を走っているらしく、その振動で崩壊が止まらないだとか。
またなんでそんな直下に線路通すか?って話しなんですが、そこんところがラテン的と言うかなんと言うか。
問題があったらなおせばいいじゃん・・・ってノリなんでしょうね。大らかな気質ですよね。
駅に着いてナポリまでの特急列車の切符を買いました。
はじめ切符売り場とごかしら・・と探していると、ただの人気の無い壁に自販機がありまして、英語バージョンを選択したら、意外にも簡単に目的のものが購入出来、ちょっと拍子抜け。
わりと便利じゃないですか、この国。
その後、出発までの時間を駅ビルのビュッフェで昼食して過ごす事に。
ウチの子、試しに少しの間放置してみて、遠くから観察してみると・・・・・、意外にも普通にしていて落ち着いています。
おおなんだ、案外セガレも逞しいじゃないかぁ・・・・なんて感慨にふけったりして。
まぁもっとも、出国前に買い与えた「てれびくん」に見入っていただけだったのです。
こんな面構えの国営鉄道の列車で2時間余り。乗り心地はけっこう快適です。
気が付けばもうナポリに到着。
10月15日のナポリは雨風模様。ローマより南に下ったのに随分肌寒く感じます。
ローマは天気が良ければ半袖で充分な位だったのが、ここナポリの方が雨と風の影響でしょうか、ずっと気温が低くなってます。
雨はともかく風が強いのには、いささかイメージ外れな観です。
ナポリって言えば、温暖で陽気な港町・・・って先入観だったのですが、翌16日は快晴日になったものの、風は一層強まり、もうすっかりイメージ崩れの港町となりました。
ちなみに正面に見える山がビスビオ山と言いまして、風光明媚なナポリの景色の象徴でもありますが、あれが大噴火して古代都市ポンペイがそっくり一晩で埋もれてしまったのでした。
ナポリと言ったら、やはりまずこれを語らねばならないでしょう。 ピッツアです。
世界中にあまたピザ屋があり、その多くがナポリのピザを模倣しようとします。
そのナポリの中でも別格な存在の店がこのダ・ミゲーレ(Da Michele)。言わばピッツアのバチカン市国、総本山的存在です。
創業は100年以上前、この店で出されるのは3種類のサイズの違うマルゲリータと、オレガノ・にんにく・トマトソースのみで焼いたマリナーラのみで、ドリンクはアズーリ・ビールとファンタ1種類にコーラだけ、と言うシンプル構成です。
宿を取ったサンタ・ルチアから歩いてムニチーピオ広場まで歩いて行ってバスに乗ったのですが、そのバスが夕方の時間は大混雑。
そして私はこのバスの中でスリ集団に囲まれ大ピンチに陥りました。
辛くも防衛に成功して事なきを得たのですが、おおなんととってもディープなナポリ体験を味わったのでした。
そのお話はまた何れ。
ダ・ミゲーレはウンベルト1世通りと言う街の幹線道路から入ったすぐの所、スカッパ・ナポリと言う下町の外れにあります。
店構えは至って普通・・と言うか地味そのもの。我々が到着したのは夕方の7時前。晩飯の遅いイタリア人のせいか、あるいはたまたまだったのか、店の前は人気も無く、見過ごす程の目立たなさ。
中に入るとある程度客がいるものの、空いてる席はまだあり直ぐに座らせてもらえました。
過去の名店も名声だけが残って、既に今はただ在り来たりの店になっちゃった・・・なんて例は枚挙に遑がないのです。来るのは地元民ではなく観光客ばっかり、と言うのがありがちな話しです。
注文した品が来る間、座って他の客が食べてるピッツァを見てみれば、形は奇妙な楕円形に近く、縁はちと焦げ過ぎな感じの案配。トマトソースとモッツァレラが乗ってる中央部分は薄っぺらくてペラペラ。切って持ち上げるとだらし無くしなだれてチーズがただれ落ちそうな様子。マルゲリータのバジルの葉は真ん中にほんの申し訳程度に二三枚チヂレて乗ってるのみ。
しかも意外だったのが、みな切り込みのないピザをナイフとフォークで食べてます。これもまったくイメージ外。
ここに限らずナポリのピザ屋はみなこのスタイルでした。
「うぅぅ・・・ん、これが世界中のピザ屋が目指す総本山のピッツァなんだろかぁ?」
自分的には本場ナポリのピッツァに対する先入観ってものがあったので、評判の高い店のそれがまったく違ったモノでかなり混乱してしまいました。
とにかく来たものを食べて確かめてみなければなりません。結論はそれから。
サイズは3つあって、下からシングル・ダブル、それにたしかラージだったっけな? 無責任にも最後のは自信がありません。値段はシングルが、と言ってもかなり大きいです、たったの4ユーロ。ダブルサイズが4.5ユーロ。
なんだよそれ!? まったく腑に落ちないさ安さ。このサイズでこのお値段。もし今1ユーロ200円としたって充分安いのです。
こんなんで店やってんの?と思ったって、これで百年以上やっとるのです。
私たちはダブル・サイズのを一枚だけ頼みました。他のお客さんのを見れば結構おっきかったので。
しかし注文を取ってくれたおじさんは少し怪訝な顔をします。
「ほんとそれだけでいいの?」って感じで。
「ええ、それで結構です」と。
しかしこの判断を後々まで後悔する事になろうとは・・・・・・。
ふと外を見れば、いつの間にやら黒山の人だかり。みなレジまで来て整理券を撮って行きます。その数はあっという間に数十番台までに。
私たちはたまたま谷間の時間帯に現れただけだった様です。
営業は午前11時から夜の11時までのお休み無し。あれ?意外に働き者さんたちなんですね。これもイメージ外。
と言う事は、夜の部が始まったばっかりだったので空いてた・・のではなく、運が良かったのかな・・・・・。
なんせ私は行列してまで何かを食べたりはしない性分。
運ばれて来たピッツァ。これが私たちの食べたやつでした。
さぁどれどれ、では食ってみますか、世界一のピッツァってやつを。
たった2日の滞在だったので、そう多くの所でピザを食べた訳ではないのですが、ナポリのピザに共通して恐らく言える事は、生地がけっこう塩っぱめって事です。
日本などでピザのメニューを見るとなかなか種類が豊富で、具材に味の主導権があるのかな、と思わせる程。
それに対して特にナポリ・ピザは基本的には生地が主役です。たがらトマトソースもモッツァレラも塩気控えめな分、生地にかなりの塩を含めます。
それと今では観光客向けに様々なバリエーションを用意していますが、地の人は余り具材の多く乗ったピッツァは好まない様です。
これは実はパスタにも共通して言える事です。しかしその話しはまた何れ。
結論から言いますと、これは確かに世界一のピッツァ・・・だったと言うこと。 もちろん個人の主観の内の話しですが。
でも少なくとも、私が生涯食べたピザの中ではピカイチに違いありません。
一口切り取って食ってアレ? ふた口目でおっ! 三クチ食ったらもうナイフとフオチークを持った手が止まらず・・・と言う案配。
しかし何がどう美味かったのか・・と訊かれれば、上手い説明が見付からないのですね。
ひとつはっきり言えるのは、トマトソースとモッツァレラが抜群に味が濃くってウマかったこと。でも生地との相性が良くって、3者のバランスがこの上なくいいので、いくら食べても食べ飽きない程だったこと。
まぁ、このくらいしか言葉が思い浮かばないのですね。
他のお客さんを見れば、ああなるほど、さすが地元の人、上手い食い方を知ってます。
ピッツァを真ん中から縁に三角に切り分けたら、薄い中央部分を何回か折り畳んで縁に寄せて行きます。そうしたら言わば巻物状になったピッツァを今度は適当に輪切りにして口に持って行けば、チーズやソースが悲しく皿に滴り落ちる事なく三位一体で食べられるのです。
こうして食うと更に美味さが増して大満足!
でも先入観にあったナポリ・ピザとは大きく逸脱した様相になってしまいます。しかし要はウマけりゃいいんです。見た目も大事だけど、結局それは二の次。
一通り食べ終わって再度店の外を見ると、待ってる人の数はギョッとする程になっています。殆どは地元ナポリの人でしょう。
この頃になると、私たちも観光客と地元民を大体見分けられる様になっていました。
妻はもう一枚追加注文しようと提案しますが、あの待ってる人の多さを考えれば、ここは席を次ぎに譲るべきでしょう。
結果として、後悔の残る注文になってしまいました。次ナポリに来るのは何時になることでしょう。
例えここまでやって来る道中バスでスリに遭遇しようとも、三千メートル級の山の稜線を思わせる冷たい強風に吹かれようとも、このピッツァは食うに値する代物です。
もっとも行列待ちはまっぴらですが。
2012年01月16日
イタリア、食い倒れの旅12コロッセオ編
ローマの朝はこんな朝食から始まりました。
雑居ビルの中にあるフロアーの一部を利用したホテルでは、ダイニングがありません。なので近くのカフェからフロントが注文して部屋に運んでくれるのです。
ちなみに朝食はだいたいどこの宿でも込みです。
ラテンの国はみな宵っ張りで、だから朝メシは遅めで軽め・・・とばかり思っとったのですが、まぁ遅いのはそうなんだけど、大抵どこのホテルも大層な朝メシを用意してくれるのです。
甘〜いクロワッサンに、さらに甘いペストリー、ブラッドオレンジジュースにカプチーノ、これがまぁ基本形。
これに大概クッキー、ラスク、パウンドケーキなどが付いてくる事が多く、更にはチーズ、生ハム、果物と。
中にはゆで卵が出て来たホテルもありました。
朝から卵を食べるイタリア人はさすがにいない様ですが、甘いパンとミルクたっぷりのカフェは普通の様です。もちろん彼らはこれにたっぷりの砂糖を入れるのです。人によってはケーキも食うようで。
遅めの朝食で糖分をとりあえず摂取して頭を起こす・・と言うのは理にかなっていますが、いやぁ〜しかし、日本人的には目覚めにこの甘々攻撃にはいささか参りました。
豪華過ぎるこの朝食は、サービス精神旺盛なイタリア人が外国人観光客を喜ばせようとして、徐々に大袈裟になって行ったのでしょうが、どうせ昼も夜もたっぷり食べるつもりの旅では、朝からこれだと胃にこたえて来ちゃいますよね。
だったらセーブすればいいだけの話し。
しかし目の前にあるともったいない気もしてつい平らげてしまうのでした。
ちなみに息子は朝からチョコラーテ。しっかりこれも甘〜いです。
家ではあり得ない話し。旅行を機嫌良くしてもらう為の、言わば親と子の取引みたいなもんでしょうか。
ホテルからコロッセオに歩いて向かう途中に見付けたお店のディスプレイ(?)
どうです、この甘そうなパイの数々! いやぁ〜、実に甘そうです。 ええ、実際相当甘いでしょう。
どうしてこうもイタリア人は甘党なのか・・・・・?
ラテン気質なのか、ドルチェ屋さんに行くと、ショーケースの中はよりどりみどりのスイーツの数々が陳列してるのが普通。
これは見た目に華やかなこと極まれで、見てると気分が高揚して来ます。
だけどそれ程のドルチェがひとつの店で1日ですべて売り切れる事はそうない訳で、大概は焼いてから何日か経ってるものです。
パイやパン類などの焼き物は当然焼き立てが美味いハズなのですが、それを気にするよりは見た目の勝負・・・とイタリア人は考えてる節がある気がします。
フランスだと朝焼いたバケットは夕方には値が下がるのですが、イタリアはそんなことお構いなしの様子です。
こんな瀟洒な感じの通りを幾つかわたり・・・・
またこんな感じのいい邸宅もあり・・・・
そうしてしばらく歩いていると、コロッセオ前の公園に着きました。
その公園にはテレビ局のリポーターとカメラマン2人組がこんな奇妙な絵でVを撮っているのでした。
まぁ絵的な都合でしょうが、ちょっと間抜けな絵であります。
テレビ局も予算の都合でしょうか、こんな小世帯でロケですか。
去年よりEU諸国を襲っている経済危機。無駄は極力省かんといかんのです。
街から街へと観光客として旅してますと、この国の経済が逼迫してるとは余り実感出来ません。
食べるものはどこも安くって、文化的にも充実しているイタリア。しかしこの頃ちょうどローマでも財政危機の伴う政府の緊縮策に抗議した若者中心のデモや暴動間際の騒ぎが起ころうとしていたのです。
民衆は不満や不安があれば、御上に対して抗議して、更なるものを要求したり、それまで続けた習慣に執着しようと抵抗するのです。
御上は御上でなるべく下々の抱えてる問題の本質から関心を逸らせるべく、いろいろな仕掛けを用意するのですね。
それは例えば朝三暮四だったり、カタルシスだったりと。
このコロッセオは建設開始が西暦72年、完成ががなんと80年。その時代に収容人数4万5000人の石の競技場をたった8年で竣工させたのですから驚きです。
当時のローマ建築技術の高さを言うまでもないのですが、別の見方をすれば、その時代の皇帝の意図が見えて来ると言うものです。
内外の問題から民衆の目を逸らさせ、同時に比類なき興奮を提供してくれる自分に熱狂的な支持を取り付ける為の舞台装置、それがコロッセオだったと言います。それは大掛かりなら大掛かりな程都合が良かったのでしょう。そのケールの大きさがつまり自分に対する支持の大きさとなるのでしょうから。
こうして考えると、お金や政に関する人間のやり方は、中世の時代より余り進歩してないのかも知れません。
様々な安全装置は高度に発達したでしょうが、本質的問題や、人間の煩悩が巻き起こす色々な不都合の要素は、基本的に同じなのかな・・とも思いますが。
外観はなかなか迫力があります。世界的に有名な名所は子供の頃から様々な媒体で目にしているせいでイメージ先行のせいか、実際を見ると意外にスケールが小さかった・・なんて事が多いものですが、これコロッセオに関しては、実際に敵うもの無しの大スケールです。
こんなもん、重機もないあの時代によく造ったもんです。
まだ朝も早かったので、さほど並ばす直ぐにチケットを購入して中に入る事が出来ました。
観光客が立ち入れるエリアと、こうした修復工事を進める人々の活動エリアはきちんと分かれています。
修復作業は今も現在進行形・・・と言いたい所なんですが、先日大変気になる記事を新聞で見掛けました。
今コロッセオは崩壊の危機に面していて、早急に本格的修復工事に取掛からなければ、多くの部分での石の崩落を免れない、との事です。
それにかかる費用は凡そ日本円換算で約260億円だとかなんとか・・・・・。
で、いい事にTod'sグループが無償で修復費用を出費します、と申し出たのはいいものの、今度は国家の有形文化財を民間企業が私物化を企んでいると、消費者団体がケチを付けて、それに怒ったTod'sグループが撤退騒ぎを起こして、今度は政府が慌てふためき・・・なんて事の顛末があった様です。
さて、今後はどのような展開を見せるのでしょうか。神のみぞ知る・・・?
事は単にイタリアのみの話しに留まらず、これは世界有数の遺産であります。憶測に過ぎませんが、世界中の篤志家から無償の寄付を募れば、そんな程度のお金は直ぐに集まりそうな気もするのですが、如何なものでしょう。
こんなスケールの大きい、2000年もの前に人類が築いた遺産を、むざむざタダの瓦礫と砂くれに戻す理由は無い筈です。
そもそもこうして崩壊が始まったのも、大気汚染とコロッセオの真下を走る地下鉄の振動が原因だそうです。
二十世紀もの間持ちこたえて来た優れた建造物が、たった2・30年のぽっちの文明活動で壊されて行くとは、なんとも皮肉な話しです。
コロッセオの内部に入場しアリーナを眺めますと、絵的にはおなじみの光景が広がります。
よく知られている通りグランドレベルの下は、この様に部屋が小分けの構造になってまして、観衆を興奮させる様々な仕掛けがせり出される様に造られていたのですね。
私は子供の頃これを見て、昔のローマの競技者たちは平均台の上を飛び跳ねながら戦ったのだろうか・・・? なんて想像してました。
もちろんそんな筈は無く、こんな仕掛けになってたそうです。まったく手が込んでますね。
場合によっては、グランドに水を張って船上合戦もやったとか。地下の仕掛け部屋にどうやって水かしみ込まない様にしたのでしょうか?
コロッセオよ、永遠に・・・・・なんて願いたい所ですが、諸行無常。形あるものは例外無く何れ消え行く運命であります。
願わくば、せめて孫の代くらいまでは・・などと凡人故の手前勝手な事をつい考えてしまうのでした。
2012年01月07日
イタリア,食い倒れの旅11ローマ食堂編
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に迷い込んだせいでタイムアウト、システィーナ礼拝堂の美術品の数々を見損なってしまった私たち。
時間はまだ4時半くらい。その後はまたちょっと地下鉄に乗ってスペイン広場などに寄って、例によって階段に座って記念写真。
たくさんの各国からの観光客が、ただ目的もなく階段に座ったりしているのでした。
ああでも、この階段に座っている事自体が目的なのかな・・・・・。
ここがこんな観光名所になったのって、オードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」の影響だったんでしょうか?
実はその映画、私ちゃんと通しで見た事がないのです。なので未確認情報。
こちらは言わずと知れた世界の観光名所、トレビの泉です。ここもものすごい人、ヒト、ひと。いっぱいです。
しかしまぁ、イタリアって、ほんと世界遺産や国際的知名度の観光名所があちこちにあるのですね。
自分が小さい頃より様々な媒体で目にして来たスポットを実際こうして目にすると、自分の中の時間軸がたわみ始める様な、妙な感覚に陥ります。
言わばこうした超有名な観光資源はテレビや雑誌のみで目に出来る、別世界の物のはずだった物が、現実として目の前に現れると、非常に奇妙な感じになるのでした。
異次元スリップと申しましょうか、なんかそんな気分です。
ローマと言う街は、意外にもコンパクトに出来上がっていて、なので地下鉄を上手く使えば、後は徒歩で大体の観光名所を見て回る事が出来るのです。
トレビの泉の後はパンテオンに。
こちらは二世紀初頭に建設された神殿です。天井は幾何学模様の飾りをされたドーム状になってまして、当時のローマの建築技術のレベルの高さを伺わせます。
ウンベルトさんやエマニュエールさんの墓が壁際にあるのですが、基本は神殿なので、あとは大体広い丸ーいがらんどうになってます。
キリスト教が入ってくる前の当時のローマ人はここで何を神に祈ったのでしょうか。
その後は三つの泉のあるナボーナ広場に向かい、そこで夕暮れ時を過ごし、さらにそこから2・3分歩いたところにある定食屋さんで夕食をとる事にしました。
ここは宿の人がくれたお勧めレストランのリストにあった内のひとつのオステリアです。この街の庶民が普通に食べるローマの伝統の味を提供する食堂です。メニューはなく、毎晩前菜からドルチェまで決まった物が出て来ます。選べるのはワインを白にするか赤にするのみ。
こう言うのは気が楽です。おまかせ、それで飾りっ気のないその土地らしい美味い物が食えればそれに超した事はないのです。ましてやそれが懐の痛まない程度であったらもう言うことなし。
これとは別に、せっかく旅行に来たのだから、特別な所で特別な物を食べたい・・・となれば、それなりの選択もあるのです。
いわゆるミシュランの星が幾つ付く、なんてリストランテを選べばいい。
2009年に日本人夫婦が法外な値段を請求され、その後政府の怒りを買って閉鎖に追い込まれた百年以上の歴史を誇った高級レストランは、ここナボーナ広場にほど近い所にあったのでした。
私はこの話しを聞いて、やはり日本人はいいカモで、どこでもぼられまくるものと覚悟していたのですが、もしかしたらこの件があったせいでなのか、どこでもイタリア人は親切で正直、吹っかけられるどころかオマケを多く頂いたのでした。
もっともナポリのタクシーにはちと参りましたが。
せっかく安くて美味しいレストランにたどり着いたのに、うっかりその店の名前も場所も忘れてしまいました。記録も見当たりません。
もしもう一度そこに行くならば、また同じホテルに泊まってフロントに尋ねるしかありません。
ちなみにその宿の名は AUDITOR DI MECENATE と言いまして、ヴィットリオ・エマニュエール広場近くの Via dello Stauto,44 にあります。入り口が判りにくいのでよく探して下され。
定食で出されるこの店のメニューは、まずお通しと言いましょうか、パンとワインと一緒に自家製の小さめにちぎって作ったモッツァレラ・チーズが出されます。これはとてもフレッシュな味で食欲亢進効果あり。この他写ってはいませんが、オリーブの実が出て来まして、これが実に美味かった。白のワインとの相性バツグンで、たくさん出て来たのですが、つい全部食べてしまい、初っぱなからけっこう腹が膨れてしまいました。
次にはアンティパストとしてダル豆をじっくり煮込んだ物、生ハム、ウイキョウのマリネなどが出て来て、どれもこれも単純な物ばかりなのですが、美味しくって美味しくって、何故にこんなスイスイ口に吸い込まれて胃に収まってしまうのかと、不思議と食が進むのです。
こちらはチーズを絡めたリガトーネ。パスタのプリモです。
既にアンティパストを欲張り完食した時点でかなり満腹に近かったのですが、でも次が出て来たらやっぱり食べちゃうのです。
これも単純だけどなかなかイケてます。
セコンドはローストポークに付け合わせでズッキーニを柔らかめに煮てマリネにしたもの。
お腹ははち切れんばかりにいっぱいになってましたが、でも美味けりゃ食うのです。これも完食。
豚は火の通し加減が絶妙で、肉自体は余計な脂っけのない、肉身の旨さが感じられる肉。
日本だと肉は脂身の旨さがとりわけ重要視されますが、肉には肉本来の旨味があると思います。
最後にはドルチェで甘〜い甘〜いチョコレートケーキが出たのですが、これは甘過ぎてさすがに食い切れませんでした。
しかしイタリアのデザートはちょっと甘過ぎる気がします。
でもまさかこれほど食べさせてもらって締めのドルチェとカフェまで出て来るとは、呆気にとられます。
それでお会計はと言うと、2人分でたったの4・50ユーロとかです。
なんでそんな安いんの?って不思議な世界。
美味い物をたらふく食って、こんなに懐に優しくって・・・まぁイタリアが好きにならないはずはありません。
特に今回の旅行は食うのが自分としての最たる目的でしたので、こうした地元の人々が普段的に食べてる美味しい料理に出会えた事は、誠に至福の極みなのです。
ここの料理は皆単調な調理ばかりでしょうが、観光客向けに過分に手の込んだ見栄えのする皿よりは、こうしたその土地本来の物を食べて満足する方が、より旅の情緒を喚起するのでした。
2011年12月29日
イタリア、食い倒れの旅10ビール編
モンテプルチアーノ、3日目の朝。トスカーナともお別れの時を迎えました。
朝の散歩から帰ると、手際のいいルチアさんは既に朝食の準備を終え、母屋へ帰った後でした。
ポット式のエスプレッソの準備をしているところの私、Brewmanです。
こんな重厚な造りの暖炉もあるダイニングキッチンです。
伝統的なトスカーナの食器を収めている戸棚をiPhoneで撮影する妻。 まったくこの旅行では動静画を撮るに留まらず、ナビや検索で大活躍してくれた、電話の域を超えた電話。助けられました。旅に役立つはずだろうと、思い切って買っておいて良かったスマホでした。
まだまだおぼつかないイタリアでの車の運転。目指すはローマ。
そう、道はすぺてローマに通じるのです。 だからと言ってデタラメに走っていたら酷い目に遭うでしょう。
今回は比較的楽に街の郊外へ脱出出来て高速道路アウストラーダA1に乗り、走る事約2時間半くらいで降りたでしょうか、その後は街の中心に向かって車を進めます。
アウストラーダを降り最初のうちは田園風景も広がっていたもの、徐々に都会らしい喧噪が目に入ってくる様になってきました。
トスカーナ州の人々からすれば、ローマ人は言わばイタリア人たるイタリア人気質と言いましょうか、それ故運転もラテン流儀が顕著です。うかうか車を転がしてると危険です。おのずと市内に入れば緊張してまた神経がピリピリしてしまうのでした。
後ろのチャイルドシートでやかましいセガレを時々怒鳴り散らして黙らせ、妻には悪態ついてナビをせがみ、事もあろうにハーツの返却オフィスはローマ駅の直ぐそば、そこまでハラハラドキドキやっとの事でたどり着いてフォードをなんとか無事故無傷で届けられた時は、なんか非常に大きな仕事を成し遂げた後の様な達成感に浸ったのでした。
ああ、無事が何よりだよ・・・・。
こちらがローマテルミ二駅。こうして見ると、なんかちょっとうらびれた感じがしないでもない絵です。なんせローマです。メガロポリスとしての歴史はたの大都市をそうそう寄せ付けないのですから、古臭さもまた味になるのです。
たどり着いたホテルはこんな感じの、ローマの庶民的な雰囲気も堪能出来る古い造り。駅から石畳の歩道をスーツケースをゴロゴロ言わせて引きづり歩くこと約10分、ここでもスマホのナビが助けてくれたのですが、そこであるはずの建物にはホテルらしき看板も見当たりません。普通にアパートかオフィスビルかと思わせる古い建物があるだけ。
それでよーっく目を凝らすとドア横の真鍮の小さなプレートに、インターネットで予約した宿の名前が刻まれているのを発見したのです。
ああ、なんかこれってラテンぽいって言うか・・・、でもこう言うの嫌いじゃないですね。
およそ日本人の感覚からすればホテルらしくなその構え、部屋はどうなのかと言えば、こんなフレスコ画が描かれていたりして、とても清潔で快適な宿でした。フロントのパウエルさんは英語が達者で大変親切。いかにも庶民的なローマっ子って感じ。
そのパウエルがバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂に行くつもりがあるのなら今日中に行っておいた方が明日の市内観光が効率的に出来るはずと、アドバスしてくれます。
時間は現在二時を過ぎた辺り、博物館が閉まるのは四時。地下鉄でここから6個目の駅で降りれば着きます。まぁ四時までに滑り込めば閉館は五時くらいだと言うので、では行きましょうと言う事になりました。
パウエルがインターネットで手際よく美術館のチケットを購入してくれ、ついでにナボーナ広場周辺の美味しいレストランのリストが書いてあるプリントをくれました。
この夜、そのリストに従って入った典型的なローマの定食屋さんは、大変満足の行く美味い料理屋さんでした。
その紹介はまた何れ。
ローマの街角。やはりトスカーナとは雰囲気が大分違います。良くも悪くも猥雑な感じがします。人が多いです。市民も観光客も、その他いろいろ。
こちらサンピエトロ広場。
そしてこれがサンピエトロ大聖堂の正面。この壇上でローマ法王が説法をするのでしょうか。
中はこの様にたいへん荘厳な造りです。 それもそのはず、ここがつまり総本山の中の総本山、バチカン市国の中心部なのですから。
しかし我々この時、実はゆっくり見ている余裕がまったく無かったのです。意外にすんなりバチカンのすぐ近くまでたどり着いた油断から、のんびりと昼食を取っていてはっと気づけば結構な時間になっていたのです。
すぐ近くと思っていたその場所からは、バチカンのゲートまではけっこうな距離があり、システィーナ礼拝堂を探していて馬鹿な事に聖堂の法へ迷い込んでしまってあたふたしてたのでした。
結局広場と美術館のゲートはまったく違った場所にあることを知った時には四時を過ぎていたのでした。
ああ残念、でもこれでまたローマまでくる理由が出来たってモノさ・・なんてね。
これは彫刻ではありません。バチカンの衛兵さんです。
見て下さい、このほれぼれする様な美しさ。わたしホモっけはまったくないのですが、完全無比なこの完璧な創造物。いるのですねぇ、こんなんのが。
同じ男ですが、白旗100本ってところですか。 でもなんたが人間っぽくねぇよなぁぁ・・・・・なんて負け惜しみ。
何故そんなにランチで待ったりしてしまったかと言うと、たまたま入ったピッツアリアのピッツアがたいへん美味かったからでした。
写真が食い散らかした後の様な案配で申し訳ないのですが、店の前の歩道に堂々とテラス席をもうけたこの店のピッツアは、ローマン・スタイルのピザではなくって、石釜で焼くナポリ・ピッツァです。
こんな開放的なテラス席で飲むのは、ワインの国にあってジョッキに入った生ビールです。運転の緊張感からも解放され、ついつい気が緩んでしまったのです。
ピザはパイの耳の部分がナポリ・スタイルらしくモチモチしてて、中央部分は底がパリッと焼けていて、切り取ったピザの淵をつまんでもパイの先がベロンっとしなだれない、自分の中のナポリ・ピザのイメージどおりのお品です。
チーズもトマトソースも申し分無く、何ゆえローマでこんな完璧に美味しいナポリ・ピザが食えるんだろ?って嬉しい誤算感に浸れた、少し遅い午後のランチタイムとなったのでした。
さて、ようやく今回の本題、毎度の事ながら長く前置きに掛かりましたが、そうビールの話しです。
イタリアのビール。ワイン大国にあってビールの話しをするには気が引けないてもないのですが、意外にもどこでも置いてあるのですねビールは。レストランで生ビールを提供する店は、まぁ半分半分くらいでしょうか。外国からの観光客はわたしを含めてそうですが、最初の一杯は「とりあえず、生」ってのが嬉しいのですね。まぁ食べる料理にも寄るのですが。
上の写真は多分国内外のベストセラー、ビッラ・モレッティーです。日本でイタリア・ビールと言えばこれが置いてあるお店が多いと思います。一種、高級ビールの扱いになってますが、イタリアでは普通に飲まれている大衆麦酒ですよ。お値段も手頃で。日本で言えば「一番搾り」みたいな位置づけでしょうか。
この他、スーパーなどで良く目にするのは「アズーリ」と言う銘柄。こちらの方がモレッティよりまだ廉価ですかね。アズーリとはアドリア海の青を意味する言葉。サッカーのナショナル・チームの愛称でもあります。
さてさて、イタリアのビールのお味なんですが、総じて言えるのは、とても爽やか・軽やかで、後を引かない甘味がある気がします。ホップの苦み・アロマはごく控えめ。
ビール好きが選んで飲む様な種類の出来にはなってないのでしょうが、それはあえて料理に合う物作りをした結果・・・と言う気がします。
ワイン大国にあってビールの位置づけは難しところでしょうが、余り個性を強調しない、乱暴な言い方をすれば、白のスパークリングワインのビール版・・な感じに仕上げて立ち位置を与えいるのかなと言う勘ぐりも出来なくもないのかな。
考え過ぎでしょうかね。
ドイツ人の旅行者が多いイタリアです。何故かこの両者、相性がいい様です。理由はなにも過去の三国同盟とかがあるから・・と言う訳でもなさそう。気質が違うが故に、お互い引かれ合うものがある様な感じがします。
ドイツ人にしてみれば、なんか居心地が良く、自国とはまったく感じが異なるのでバカンスに来るには地理的にも近くって都合がいいのでしょう。
それとは一転、フランス人は少ないのです。同じラテン民族なのですが、どうも対抗意識が互いにあるようで。文化的にも得意分野が似通ってます。
離れて見ると両者は少し性格の違う兄弟みたいで、それ故相手には負けたくないぞ、と言うライバル心が燃え上がるのでしょう。
兄弟って仲がいい内は頼りになるのだけど、近親ゆえこじれると大変厄介なんですよね。
これって日本と韓国にも当てはまる気がしますが。
経済的にも結びつきの強いイタリアとドイツ。多くのドイツ商品がイタリアに入って来ています。
ビールではこのハイネケンを置いている店がけっこう多く、もしかしたらモレッティよりメジャーかも知れません。
味的にもハイネケンは特徴のあまりない平均的な造りになってて、パスタやビッツアを流し込む液体として悪くはないでしょう。
こちらは日本でもわりと飲める機会が増えて来たフランチェスカーナ。ドイツのバイツェン・ビールではメジャー級の品です。
驚きのこの価格! なんと1ユーロ26チェントぽっきり。日本円でただ今のところ130円強です。この瓶500ミリリットル入りですよ。
先日赤レンガに行きましたらフランチェスカーナの野外店が出てまして、生をサーバーで専用グラスに注いで売っていました。とてもフレッシュでいい香り、元々好きなバイツェン・ビールだったので嬉しかったのですが、お値段は1200円だったかな。まぁ、外国のいいビールをお店で生を頼めばこの程度は当たり前なのですが、やっぱこの価格となると、たまの贅沢品の部類になるでしょう。
モンテプルチアーノのスーパーで目にしたこのビール。生と瓶の違いはあるのですが、この安さに呆れるばかり。
結局我々は大半を船賃として飲んでいる事と言う訳なんざんしょか?
それとも、でなかったらナニ?って話しです。 まぁ不公平な酒税に寄るところが大きいんでしょうが。
しかしこんないいビールが同じEU圏だからと言って、こんな値で売られているなんて、ただ呆れるばかりです。
2011年12月21日
イタリア、食い倒れの旅9ビエンツァ編
モンテプルチアーノより車で普通に行けば約20分の距離にあるのはピエンツァと言う、やはり城壁に囲まれた街です。
ちなみに私たちナビどおりに向かったところ、とんでもないと遠回りをする羽目になったのでしたが。お陰で図らずもオルチャ渓谷の美しい田園地帯をドライブしてみる事が出来たのでした。
ここはモンテプルチアーノを一回り小さくしたくらいの街でしょうか。静かなルネッサンス風の造りをしています。「世界遺産」には96年に登録。それ位の文化的価値は充分ある街の風景です。
近年はハリウッド映画の舞台になったとかで、やたらとアメリカ人観光客が多いところです。
モンテプルチアーノ同様自然豊かなゆったりした環境なので、こちらもアグリツーリズモで人気のある土地です。実際私たちも最後までここにするかモンテプルチアーノで宿を取るか迷った程。
そしてこの街が世界で知れ渡っている最たる理由はペコリーノ・チーズです。
羊の乳で作るこのチーズは風味に特徴があります。モッツァレラの様な熟成度の低いフレッシュなチーズとはもちろん違うし、パルメジャーノよりも個性があり、青カビのゴルゴンゾーラのクセとも違います。
言うならば、羊臭さ・・がある風味と言いましょうか。 まぁ、それがウリのチーズなんですね。イタリアの四大チーズと言えば上記の4つが上がるでしょうか。多分ピザで四種類のチースが乗ったクワトロと言うのがありますが、この四種類が焼かれる事が多いと思います。これは大変美味くって、ピザ生地にトマトソースを塗らずに焼いて、それにハチミツやメープルシロップを掛けて食べるのです。
日本でもここ数年このピザが良く知られるようになって来た様ですし、ペコリーノ・チーズも随分食材店で見付けられるようになりました。
このチースにクセの強い風味があるのは、どうも羊の乳由来だけではなさそうです。
熟成に時間を掛けるペコリーノはどの様にその成長過程を経るかと言えば、これを見る限り、どうも枯れ葉、それもなんだか堆肥化した枯れ葉に囲まれ貯蔵している様です。
なるほど、これで独特の風味が醸されるのですね。味は熟成期間の長いチーズの特徴として塩気が強く、同時に奥行きのある甘味を感じられる気がします。
街のメインストリートの一角はペコリーノ・チーズ専門店が軒を連ね、店をくぐるまでもなくその匂いがプンプンしてる程です。
私には正直このチーズは匂いがきつ過ぎてあまり得意ではありません。チーズ好きの向きはこれを生で、もしくは蜂蜜を掛けナッツ類と一緒にワインでちびちび食すだとか。
うんうん、なんか絵的にはカッコ良さそ。でもなぁ・・ちょっとマネ出来ないかな。
自分的には火を入れて食べるのが好きです。ピザ・クワトロやグラタンに。またはペコリーノ・ロマーノと言って粉チーズにしてもいいです。
せっかく来たのだから、どこか一軒冷やかしで入ってみるか・・・と言う事で、さるお店に。
店の棚には堆く丸のまんまのペコリーノ・チーズが積上っていて、対側のガラスケースはナイフが入ったのが幾つかあります。プレーンものからナッツ類が入ったものとか、または熟成具合が違うのが陳列している様です。
ガラスケースの向こうにいる店主のおじさんに私が余計な事に「ここにはパルメジャーノは置いてないんですかねぇ?」なんて、今考えればまったくお馬鹿な質問をすると、店主はつかさず・・・・・・・・・
「ここはペコリーノ・チーズの街だ、それ以外は作らねぇんだよ。パルメジャーノが欲しかったらパルマにでも行くといいさ」
なんて言うと、下を向いて仕事の続きを再開。
うぅぅ・・・、なんか気まずい感じ。機嫌を悪くしちゃったかなぁ? アホな事訊くんじゃなかったと、ばつの悪い思いをしていると・・・おじさんはふいに顔を上げてナイフをこちらに差し出します。もちろんこれで腹いせに・・って訳ではなくって、ナイフには幾ばくのチーズの切れ端が乗っているのでした。
それをもらって妻と分け食べてみれば、それはそれは自分が今まで知ってたペコリーノ・チーズとはまったく違った、とてもまろやかでこくの深い味だったのでした。
辺りの匂いにもかかわらず、その味はさしてクセもなく柔らかくて食べやすい代物だったのです。この種のモノをこんなに美味しく頂いたのは初めてです。
ああこれは買って帰るっきゃないな・・・と即断。しかし税関で見付かればもちろん即没収。でもここはギャンブルだ、五百グラムほどおじさんに同じものを切り分けてもらい購入。でもびっくり! えらく安いではないの。たったこれだけ・・・?ってほどです。
まぁしかしイタリアはほんと食が安くすみます。それも質がとびきり高いので呆れます。
ちなみに税関はその後無事突破。その他様々な食材をイタリア各地で仕入れ自宅に持ち帰ったのです。やった、やった。
ピエンツァの美しい街角。
これはたぶんイチジクがなっているのでしょうか。
2011年12月15日
イタリア,食い倒れの旅9 カフェ編
イタリアを旅行してますと、頻繁に利用する事になるのがカフェです。どの街でもいたる所にあり、口に入るもので手の込んだもの意外なら大概買えるのです。カフェの各種はもちろんの事、アルコール類、パンも菓子パン類からハムやチーズ、その他の具材を挟んだバニー二やら、もちろん様々なドルチェ類。
お酒を飲む人にはおつまみも豊富にそろっているお店もあり、その傾向は南に下る程に品揃えが大袈裟になって行く様です。
やっぱり南の人の方が飲ん兵衛なんでしょうか。もともとイタリアでカフェをbar(バール)なんて呼びます。バールは英語読みでバーですから。
観光立国なのに公衆トイレの少ないこの国で用を足すのにも便利です。お店の人も大抵嫌な顔無しに貸してくれます。
歩き疲れて一休み、のどの渇きを潤す為に、些細なエネルギー補給に幾らかの糖分摂取にあれこれと選択肢はよりどりみどりです。
暑い日にはソーダ水や、もっと暑さがきつい日にはグラニータと言うイタリアのかき氷、と言うか我々の言う所のスムージィーなんかが良く注文されます。もちろんもっちり粘りのあるジェラードもいいでしょう。
寒い日には暖かいカフェラテやカプチーノを。イタリアの人はこれに甘いリキュール類をいくらか滴して飲むのも好きです。
日本で「バール」なて言われる場所はオシャレ過ぎてなんか敷居の高い印象がします。またお値段も割高な設定になってましょうか。
しかしイタリアのカフェに入ってビックリするのは、その安さ!
何が安いかってみな安いのですが、例を挙げると普通のカフェ、つまり我々が言うエスプレッソですね、これがたったの1ユーロ。
カプチーノのが1.2ユーロ。仮に1ユーロ200円でも充分安い。それが現在のレート102から104円くらいです。
その他も然りで、パン類もドルチェ類お安いのです。チョコレートケーキは2ユーロくらい。
ですから気軽に寄って一休み、なんて事も躊躇なく出来るし、バリスタさんも店員さんも妙な気負いや気取った感じもなくって、至って入りやすいのです。
これは私の先入観をまったく覆してくれました。勝手な思い込みだったのですが、本場イタリアのバリスタってもっと威張っているのかと思いきやそれはまったく違って、つまりカフェは彼らのとっての当たり前の日常であって、そこで気取ってたって始まらないよ、と言う事なんでした。
たとえいくら安くたってケチケチしてなんかいやしません。エスプレッソを抽出するドリッパーにしっかり擦り切りいっぱい細引きしたイタリアンローストの粉を入れ押さえ、マシーンにセットします。抽出温度はかなり低めです。唇にあたった感じは「あれ、ぬるいジャン」って位です。そしてエスプレッソだとタダでさえ小さいデミタスカップの3分の1程度しか注がないのです。
こうしたコンディションで抽出するのはイタリアのどこでも同じでした。ドリッパーにあんなにしっかりコーヒーの粉を入れて、濾しとるのはたったの数cc程度なんです。あーなんとももったいない気がしてしまいます。その出がらしもらって家で再利用してみたい程。
抽出温度もえっ?て思う程の低さで、これはカプチーノやエスプレッソを長めに引いて薄くしたアメリカーノでも同じ。
で何故そうするのかと言えば、つまりイタリア人にとってコーヒーとは飲む為のもの、と言うよりは、香りを愛でるモノなんだ、と言う事実です。カフェの香りを優先すると長々湯で抽出して雑味まで引っ張ってしまうのは厳禁だし、圧力を掛けた蒸気は温度が高いと香りを飛ばしてしまいます。こま引きのコーヒー粉から雑味を出さずに最高の風味を引き出すには、圧縮した蒸気をサッと通してしまう事です。そしてその温度は恐らく60から65度C位だと思われます。
むかし小学校の家庭科の授業で煎茶をお客様に出す時は六十度が最適だ、と教わった記憶があります。つまりそれ位がもっとも香りよく茶葉の風味を引き出せる温度だって言う事でしょう。それはコーヒーでも同じだったのですね。例外は紅茶でしょうか。
そしてもうひとつのポイントは、砂糖です。
デミタスカップにちょこっとしか入ってない液体に、砂糖をティースプーン2杯を入れ、グルグルかき回して一気にズッと飲み干してしまうのがイタリア流。
これは何度見ても唖然としてしまいました。 おーなんと体に悪そうなこと・・・・・・・。
しかしこれが美味いのですね。確かに試してみれば、お砂糖たっぷりのドロッとしたカフェは不思議と香りが引き立つのでした。
ラテンの人々にとってカフェを甘さ抜きで飲むなんてナンセンスなんです。彼らにとってカフェとは我々にとっての「お茶」ではなくって、ひとつのジャンル。言うならば大事な嗜好品なのです。
私は軟弱なので健康が気になってこうした飲み方は余り出来ず、よってイタリアではアメリカーノを頼むことが多く、それにちょっとしたお茶請けとしてささやかなドルチェを頂く、ってのがパターンになってました。
しかしまぁイタリアの人はけっこう甘党ですね。ドルチェが甘いのは当たり前にしてもカフェも甘けりゃアルコールの類いも甘〜いのがお好み。
ナポリより南に下るとレモンを皮ごと氷砂糖と一緒にスピリッツに漬け込みドロドロに溶かした「レモネッチェーロ」と言う酒がよく飲まれています。これはアルコール度数の高い果実酒で、大量の糖分を含んでいるので粘度があり、色は真っ黄色です。
味はクドいかなと思いきや、もう一口、もう一口とついつい飲み過ぎてしまいそうな、それこそ甘〜い誘惑を持っている大変美味い酒です。
レモンも大量に溶け込んでいるので甘さが余り気にならず、むしろ甘さが柑橘系の酸っぱさの良い面を強調する感じ。高度数なのを忘れてつい飲み過ぎてしまいます。
こうしてカロリーの高そうなものを良く飲み食いするイタリア人にさほど肥満が見られないのは大変不思議なことです。これはイタリアン・パラドックスと呼んでいいでしょう。
自分は・・と言えば、帰国して2キロ増えてて、その後も食いグセがなおらず更に1キロ増えて・・・と言った案配。ただ今まだダイエット中。 楽しんじゃった分、後々高く付いたのでした。
私はイタリアに行ってカプチーノを注文すれば何時でもラテアートをしてくれるもんだと思い込んでいたのですが、当てはまったく外れ、とうとうただの一度もそれを見られる事はなかったのでした。
日本人の勝手な思い込み、いろいろあるのです。例えば陽気でお節介で少々厚かましいイタリア人。ナポリの下町などに行けばそうした感じもあるのですが、意外にも・・と言ったら失礼ですが、イタリアの人々はかなり慎ましい紳士淑女でした。それと大変親切。とくに小さい子供連れだととても良くしてくれます。
トスカーナの人々に関して言えばむしろ寡黙で地味な印象です。欲張らず身の丈にあった生活を守って暮らしているのでした。
カプチーノのスチームされたミルクを見ると泡立ちがとてもしっかりしています。これはバリスタの技術もあるのでしょうがどうもそればかりでないようで、ミルクだけスプーンですくって舐めてみると大変脂肪分の高いミルクを使っている事が判ります。そして少し塩分も感じます。
こうしたミルクを使えば泡もちの良いラテが作れるでしょう。カフェとミルクが直ぐに混ざってしまわない、最後の一口までクリーミィーなミルクとカフェの苦みを感じながら飲み干す事が出来るカプチーノが飲めるのは嬉しい事です。
2011年12月09日
イタリア、食い倒れの旅8ポルチーニ茸編
トスカーナの田舎町、モンテプルチアーノをお店をのぞいたりカフェでお茶したり土地のワインを購入したりの観光をして、なかなかいい時間になっていました。お腹もいい具合に減って来て・・・・・。
と言う訳で当然のごとくお昼ご飯をどこかで、と言う運びに。
国の内外に限らず観光地で食事する所を選ぶのも、楽しみのひとつ、と言えばそうなんですが、また憂鬱のタネでもあります。
食事は旅行の大事なイベントなのですが、それ故ハズせば旅は台無し。
知らない土地で、特に外国ともなれば頼る情報の最たる物はやはりガイドブックでしょうか。しかしこうした物に載ってる所は大概ウマいウマくないは別として、お客の大半は観光客です。その店の味は長年かけてよその土地から来た人々受けする味に変わって来ているのですね。
まぁ、それも善し悪しですが。
その他の手段としては、出発前に人様の書いたブログ記事やネットで検索した口コミ情報を活用するって手が最近はありますね。
私は今回の旅では大分利用させて頂きました。おかげて旅の幅が広がった事は確かです。まったく便利な時代になったものです。
実際は期待通りだったり、それ以上の事もあったり、また当然ハズれもありました。
個人の主観は様々であり、何を好みの上位にしているかと言う価値観は「当たり外れ」ではくくれない事を学んだ気がします。
旅はみな自分が主役であり、いかに満足するかは旅行のマネージメント能力に掛かっているんでしょう。
まぁ、楽しめばいいのです。腹の立つ事やアクシデントも、無事家に帰り着いてみれば、楽しい思い出となるのですよね。
私がこの旅行で最も難儀したのは車の運転でした。
慣れない道路事情に左ハンドルと10年ぶりのマニュアル車。頼りにならない・・と言うよりは大嘘つきのカーナビ。
特にこのアメリカ製のカーナビゲーションには泣かされました。自国で使ってるのと比べれば、もうその違いは「ファイナルファンタジー」と「クレヨンしんちゃん」くらいの差、と言っても判りませんよね。まぁもうとにかくダメダメ。
そしてトスカーナで借りたフォード車の乗り辛い事乗り辛いこと。小型のアメ車はこんなご時世にもなってもまだ乗り手を考えた車造りが出来てないって感じ。これじゃ会社も傾くよね。
翻ってシチリアで借りたフィアット車は大変使い勝手のいい車で、「イタリアの大衆車なんてどうせ大雑把で・・・」と内心馬鹿にしてた事を反省させられました。
しかしイタリア人の運転の荒いのには参りました。モタモタ運転してる事を許してくれません。みな自分の運転に自信を持っているからなんでしょうが、とばすは、どこでも追い越しかけるは、信号のない交差点では早いもん勝ちばかりによく見ないで突っ込んで来るはで、オッカナイおっかない。こちらはそれにビビって慎重に運転してるとクラクションの雨が降ってくるのです。
イタリア人にはどこでも親切にしてもらって感謝してるのですが、事車に関して言えばまったく容赦ない人々。それとみな血が騒ぐのですかね、ハンドル握ると。なんせ名だたるスポーツカーを多く世に送り出してる国ですから。
でもあんな高価な車が走れる様な道路かよ?って思います。道はガタガタで走り辛く、幅員が狭いのにもかかわらず路駐だらけ。
南に下れば下る程に道路事情は悪くなるのです。
でもまぁ、私の運転がトロくていけないのです。四十代になってからと言う物、特に動体視力が落ちた気がします。もう速いスピードに目が追いついて行けない感じ。移動速度が速まれば視野も狭くなるので、見落としが無い様注意すればモタモタとさも自信なさげな運転となるのですね。
それにしても、今回レンタカーを借り知らない国を旅で来た利便性、自由度、これは何にも返られなかったと噛み締めています。
それに様々なドタバタや車内での家族のすったもんだの数々、それらは日を追う毎に喜劇の色を帯びて思い出となって行くのです。
元々長い話になりがちの男の話が、余計な事で脱線し、で何の話だったっけ?なんですが・・・・・・、そう旅先でどうしたら満足出来るレストランにたどり着けるか、と言う話だったんですよね。
結論から言いますと、地元に人に聞くのが一番・・・と言う当然の話し、だったのでした。
あまりにも当たり前で、でもこれってなんとなく避けがちな手なんですね。とくに言葉がよく判らない国では遠慮しがち。
誰に聞いてもいいのですが、誰だっていいとなると、では誰にどう訊いたらいいやらって。でもって訊かずに適当に入ったらやっぱ失敗しちゃった・・・。でもって誰がこの店選んだんだって連れと責任のなすり付け合いが始まったら、旅事態に暗雲が立ち込め始めるのです。
もしかしたら、今回の旅行でリストランテと名のつく所に入ったのは、ここが最初で最後だったかも知れません。
その後利用したのはトラットリアやオステリアと名のつく所、もしくはピッツアリアばかりだったと思います。
こうして写真を改めて眺めれば、ちゃんと書いてはあるじゃないですか、「Ristorante」と。おおスゴいすごい。
何故なんでしょうか、どういう利点があるのか知りませんが、イタリアのワイングラスはこうしてボディーの一番幅のある所が角張っている物が多いのです。昔のワインはおりが多く、よってここでおりを止めて飲んだ頃の名残なんでしょうか。もちろん今のイタリアワインがおりでどんより濁っているなんて事はありません。
トスカーナは特にRosso(ロッソ)、赤ワインではイタリアの最高品種を生産している土地でしょう。土壌はミネラルが豊富で、気候は乾燥して昼夜の寒暖の差が大きい、正にワイン用のブドウを生み出すには最高の環境が整っています。
トスカーナ人はその土地で獲れる野菜や肉が中心の食生活です。家畜類はもとより獣などを捕まえて作るジビエ料理なども得意です。
なので適当な赤のテーブルワインは欠かせません。まぁ、食事をする時の都合のいい水です。多少獣の臭みの残った肉料理を食べるのに適した、食を進めやすくする為の水です。それは適当に肉の臭みを消す作用のあるタンニンの渋みがあり、食べ物の喉越しを邪魔しないように酸味と糖分がバランスのとれた物でないといけません。ここでは余りワインの個性は重要ではないのです。
そして樽に仕込んでせいぜい1年くらいで飲める物。余り長く醸造に掛かるようでは、テーブルワインには間に合わないのです。
商品としてよその土地にボトル詰めして売るのとは基本的に異なる、言わば非売品の類いでしょう。
しかしこうしたテーブルワイン、あるいはハウスワインと呼ばれる物の方が、私はワインと言う飲み物本来の姿がある様な気がしてならないのです。ビンテージ物の良さはあるとして、生活により密着した、食べ物とともに自分の血肉になってくれるもの。
実際、この土地のワインは郷土料理に良くあい、それ故食が進み、またそれ故ガブガブと呑んじゃうのです。
美味い酒・・と言うよりは、ウマい水・・・かな。それも気分よくしてくれる水なんですね。
これは前にも紹介したトスカーナでは最も好まれているPICI(ピチ)と言う卵を使ってない太麺の生パスタです。それにラグーソースを絡めたもの。アグリツーリズモのルチアさん宅でも頂いた一皿。だからほんとこっちの人はこれをよく食べてる様です。特にこのラグーソースでのものが多く、その他レバーなどの内臓系ソースでもよく食べる様です。
パスタはとても歯応えが良く、日本のうどんに似て異なる物。手打ちのコシの強いうどんとも違います。多分、このパスタをうどんの汁で食べても美味くないでしょう。土地の料理は、その土地の空気・水に合うように進化しているのでしょう。
こちらはポルチーニ茸のリゾット。ちっと塩っぱかったけど絶品の一品でした。イタリアのリゾット米は日本のうるち米とは違い、粘りがあまり出なく、水の吸いがいい特徴を持ってます。だからうるち米のように水付けと蒸らしが必要なく、鍋ひとつで作れます。
日本の米がふっくらさせて割と強い粘り具合が好まれるのとは対照的です。それと米の粒が丸に近い位の形をしてます。リゾットの命は芯を残すアルデンテに仕上げる事で、その点向いてます。街のスーパーでリゾット米を自宅用にと選んで買ったのですが、いい米程丸みが強いと思いました。
具材のポルチーニは、出国前から大変楽しみにしていました。秋が収穫期のこのキノコはこの時期でないと生ではなかなか食べられないのです。長距離輸送もダメ。なので日本で食されるのはみな乾燥か冷凍モノ。乾燥物は水で戻して、冷凍のは解けないうちに調理します。でないとしぼんでしまうのですね。冷凍するのは少しでも生の食感や風味を残す苦肉の策なのですが、やはり生ものと比べれば大分落ちるでしょう。
日持ちのしないこのキノコをそれ本来の姿で食べられるのは、この時期にこれが採れる国にいる者の大いなる特権です。イタリアに渡って3日目、やっとありつけました。
勇気を持ってあえて言うならば、あじ風味は松茸と椎茸の特徴を合わせた感じ。で食感はナメタケ様にいくらかヌルリとした感じがありますかね。意外にも我々が知っているキノコの特徴に相通じるものがあります。それと言い足すなら森の土を思わせる、正に土っぽい印象を抱かせる野性的な味わいでしょうか。
やっぱり以前食した乾燥モノとはまったく別物。乾燥椎茸は場合によっちゃこっちの方がいいってのがあるけど、これに関しては生に勝る要素はまったくありませんね。
ポルチーニの適度な粘り気がアルデンテのリゾット米にまとわりつて実にマッチしてます。これは美味いウマい。
このキノコがこんなにリゾットに向いているなんて思ってもいなかったので、なんかめっけもんした嬉しさでした。
翌日モンテプルチアーノからローマに向け車を走らせていると、街道の路肩に軽トラックを停めてポルチーニ茸を売ってる臨時露天商がよく目に付きました。この時期は日本でもちょうどこんな感じで松茸を売っているおじさんたちがいますね。こんなところはイタリアでも同じなんてちょっと笑えます。
もしもう1日トスカーナでの時間があったなら、ルチアさんのアグリツーリズモのキッチンで網焼きしてみたかったものです。
松茸とは違って、そんな食べ方はしないのかな? しかし一回くらいは自分で生のポルチーニ茸を調理してみたかってものです。
まぁまた何時…か、があるのかなぁぁぁ?
2011年11月30日
イタリア、食い倒れの旅7モンテプルチアーノ編
モンテプルチアーノ2日目の朝は気持ちよく晴れ渡ってくれました。
今日はルチアさんの用意してくれた美味しい朝食を食べた後は、この街の散策をしてみる事にしました。
モンテプルチアーノはこの地方には良くある中世に出来た城塞の街です。小高い丘の天辺が街の中心と言う作りで、今そこにあるのは市庁舎です。昔は当然のごとく支配者の館があったのでしょう。
こちらが街の入り口になるプラート門です。ここをくぐって道は蛇行しながら上へ上へと段々に登って、行き着いた先が市庁舎のあるグランデ広場です。その間に当然様々なお店があり、いろいろな街角の風景に出会うのです。
この街はどこをどのように切り取っても、みなポストカードのように絵になる、大変美しい所です。ヨーロッパの街らしく石畳に石造りの街並。古さとモダンなセンスが上手く同居していて目を飽きさせません。西洋の田舎町の良さをギュッと詰めた感じのする、想像の中にあったヨーロッパを体現しているかの街です。
俗なことを言えば、宮崎駿のアニメのモチーフになるような所かな。きっと視察に来ていたに違いありませんね。
天気が良く、ストリートから外れ城壁の方へ向うと、遠くの方まで見渡せます。
建物の扉も壁も、古くからの物を大事にリフォームを重ね使い続けているのが分かります。日本にも千年以上の建築物はありますが、それらはみな重要部管財として保存されているのであって、こちらのように実際の市民の生活の中で息づいているのでありませんね。
石の文明と、木と紙の文化の差ではあるので、仕方ありませんが。
イタリアの、特にこの様な迷路状になった城塞の街では、至る所に狭い傾斜のきつい路地があり、よって小さい車が大いに役立ちます。この路地の先に写っているのは三輪オートです。こんな街ではこれが欠かせないのです。主に荷物の運搬に活躍しています。
そうそうこれ、ルパン三世が「カリオストロの城」で乗ってた車ですよ。色がちっと違いますが。カッコいいからではなく、ほんとこんなでないと不便な思いをする街なんです。
城門から登り詰めた先が街の中央広場なので、その過程では急な坂道や階段がたくさんあります。
ニャンコと老婆と我がせがれ。のんびりとした平和な1日です。
こちらが街の中心、グランデ広場に面して建ってる市庁舎です。建設はなんと十四世紀の終わりだと。まぁ歴史のあること。映画好きの人はひょっとして判るかも知れませんが、この建物はバンパイアもの「トワイライト」のイタリアでの舞台になった所。
こちらは中庭。吸血鬼の親玉たちが威張って座ってた部屋もどこかにあるのでしょう。
2ユーロだったかな?を払ってこんな狭い階段登れば、モンテプルチアーノの一番中心の高い所から、オルチャ渓谷を一望出来るのです。
そろそろお腹も減って来たのでどこかで昼食を・・・・・・・と探していて入ったのはこちらです
注文したのはグラスのワインにパスタとリゾット。で、その内容と評価は・・・・・・ですが、それはまた次回に。ちょっとまた、と言うか、毎回ですが長くなり過ぎましたので。 ではおしまい
2011年11月21日
イタリア,食い倒れの旅6アグリツーリズモ編
イタリア滞在2日目にレンタカーでフィレンツェを発ち、ピサ経由で言わばこの旅の目的と言うべきモンテプルチアーノのアグリツーリズモ「パシフィコ」に、ようやく夕暮れ時になって到着しました。
フィレンツェから直接高速道路、アウストラーダA1を使えば2時間かからないのですが、ピサからでしたので結構時間を食いました。
西の海岸線近くにあるピサからモンテプルチアーノに行くには、途中までもう一度東に戻るように走らねばならず、よって私の慎重過ぎる運転もあって、ついた頃にはすっかりこの通り暗くなってました。
EU圏内は極力同じ時間帯に設定してるのでしょうか、行きの飛行機はパリで乗り継ぎだったのですが、到着したのは朝の7時。なのにまだ夜明け前の暗さ。夏時間から冬時間に移行する直前と言う事もあったのですが、パリより東のミラノやフィレンツェと同時間帯です。ちょっと生活には不便そうですね。そのフィレンツェでも朝の6時ではまだ日の出前。
夜は夜でもう秋なのに7時過ぎでも日が落ちきらない様子。日本人的感覚では、なんだか不思議な感じでした。でもまぁラテンの国。朝は遅く宵っ張りがお好みの国民性です。この方があってるのかな。
今回この宿に滞在する事になったのも、他人様のブログを拝見し、とてもいい印象を得たからなのでした。自分がイメージしていたトスカーナの魅力を持ち合わせている街と、それに似つかわしいイタリアの田舎の楽しみを体現できそうな宿、それがこのモンテプルチアーノのこのアグリツーリズモ「パシフィコ」だと思えたからだったのでした。
ついた晩の夕食は7時半でした。泊まる部屋は離れの棟で、三つ部屋があって真ん中がダイニングキッチンになってます。とても重厚な作りになっている建物でして趣があります。部屋の隅々まできれいに掃除されとても快適でした。
特に私たちは家族3人で滞在と言う事で南向きの景色の良い、一番いい部屋をあてがってもらいました。バスタブもある部屋でありがたかった。
ちなみに昼間の部屋の感じはこんな感じ。
そして部屋からの眺めはこんな感じ・・・・・・・・
下の方には延々とオリープ畑が続きます。まさに思い描いていたそのままの風景が、これまたイメージ通りの宿の部屋から望めるのです。素晴らしいに尽きます。
余談ですが、今回の旅行で様々な宿を取って泊まりましたが、大人二人プラス子供一人、もしくは3人で宿を予約する、と言うのには大きなメリットがあったと思います。二人だと、つまり普通のツインルーム。でもそこにプラスワンとなると、少し大きめの部屋を用意してくれる事になります。普通のホテルなどではいわゆる「角部屋」になる事が多く、窓の多い景色の良い部屋になる確率が高くなるのです。
イタリアに限って言えば、ツインもエクストラベッドを入れるトリプルルームもさほど値段に差はなく、ユーロ安もあって断然お得間が増します。日本では「お一人お幾ら」ですが、ヨーロッパでは部屋に値が付いている事が多いの様なので、3人での旅ってのは結構いいと思います。
その晩の夕食は母屋でオーナーのルチヤさんとその息子ニッコロ君と一緒にそれに東京から滞在者のNさんも一緒に、にぎやかな夕べとなりました。
Nさんは今回が4度目、かそれ以上?かくらいのイタリアだそうで、前回はこの宿の手配をして頂いたいのうえさんの家にホームステイだったそうです。このモンテプルチアーノがたいそうお気に入りで、ここばかりに来ているそうです。
当然イタリア語もとてもよく話されるので、食事中はルチアさんとの間で通訳をして頂く形となってしまい、申し訳ないと思いつつも大変楽しい時間となりました。Nさん、有り難うございました。
私たちは今回はたったの二泊。通常アグリツーリズモでは一週間単位の滞在が基本で、最低でも3日からが基本なのですが、この季節は少しシーズンが外れているとの事で、特別に宿泊をさせてもらえました。
宿泊の手配は「南トスカーナの個人旅行」のいのうえともこさんにして頂きました。http://www.tabitoscana.com/index.html
この方は単身トスカーナに来てこの地に魅了され、こちらの方とご結婚して旅のエージェントをやっておられるそうです。
今回はお世話になりました、また何れ、次回はもっと長くの滞在でお願いしたいものです。
楽しい会話と美味しいルチアさんの手料理でいい時間を過ごしてしまい、料理の写真を撮るのをすっかり忘れてしまったのでした。なので画像なし説明のみなのですが、彼女の作る料理は大変美味しくって感心してしまいます。最初の晩はラザニアがプリモで出て来てセコンドが豚肉のソテー。それに最後はデザートも出て来ます。
2日目の晩ピチ(PICI)と言うパスタとホロホロ鳥のグリル。もちろんドルチェも。
このパスタはルチアさんが作ったものではありませんが、これがピチと言うモンテプルチアーノの人々が好んでよく食べる、日本のうどんによく似た卵を使用してない麺です。見た目は卵が使ってない小麦粉のみの物なのでうどんそのものって感じですが、食感はうどんとは確かに違います。
何故違うのでしょうか? いくら腰が強いうどんでも使われているのは中力粉が殆どのうどんと、強力粉主体のパスタの違いなのでしょうか。
もしくは粉そのものの性質の違いなんでしょうか。
日本で以前こんな感じの太めのパスタを食べた事があるのですが、それはまさしくうどん、でした。うどんにパスタソースが掛かって出て来て食べた感じです。でもこのピチと言うパスタは明らかに違います。この地方で食べるこのパスタは大概生麺ですが、私は乾麺を一袋買って帰りました。それを茹でて食べれば、やはりうどんではなく、ピチでありました。
なかなか食感が良くって肉系のこってりソースに良く合いますね。トスカーナの人は大抵これをボロネーゼに絡めて食べる事が多い様です。
この卵を使わない太い歯応えのするパスタには大変気に入ってしまいました。イノシシや内蔵などを使ったソースで食べるのにもいいと思います。
イタリアの人々、特にトスカーナに暮らす人たちは地産地消と言うのが当たり前の事の様です。基本的には魚介類は食べません。
自分たちの土地で穫れるものを消費して生活を営んでいます。もちろん100パーセントの自給率ではないのですが、我々のように知らない土地の食べ物に興味をもって消費してみようと言う気はさらさらない様です。
その代わりと言っていいのか分かりませんが、自分たちが持っている範囲で最善を尽くし、持続可能なサイクルを保てる様つとめているのでしょう。ですから元々豊穣ではない土地を丹念に開墾して食物を栽培し、けして取尽さないように心掛け大地と付き合って来たのです。
その地方の生産能力を知るのに一番良い方法は、自ら土地を耕し作物を栽培すること。そしてそのあがった収穫物から自分の口に入る物を調理する事に違いありません。
まさにそれを実践しているのがこの宿のオーナー、ルチアさんたちであり、そうした営みを部分的にでもかいま見れる体験がアグリツーリズモであります。
この家では代々オリーブやブドウを栽培して来た様です。この宿で出されるパスタもパンも、それに付けるジャム類も皆手作り。チーズや生ハム類は知り合いから分けてもらっている物だそうです。大変でしょうが、何とも羨ましい生活です。
夕食に出されたワインは自家製で、酸化防止剤などの保存料が入ってないワインです。
非常に素朴な味で、トスカーナの田舎料理と相性が良く、飲み口がいいのでガブガブ飲んじゃいたいくらいですが、まぁ人様の前なのでそうも行かず。でも美味しいワインでした。ワインと言う飲み物本来の姿なのかなと思わせる品です。
料理をさりげなく引き立てるもの。際立った個性ではない、体に吸収されて何れ自分の血になってくれそうな、そんな感じのするワインです。
まぁ、たまには格別高価で美味いワインも飲んだってもいいのですが。しかし誰が買うんだよ、って話・・・・・。
ゲストハウスになっているこの離れの建物は石造りの大変重厚な趣なのですが、全体的になにかとてもチャーミングな印象を持っている気がします。ルチアさんの行き届いた掃除でとても清潔だし、窓際やちょっとした所にあしらった演出がセンスの良さを醸しています。
この松ぼっくりはなんとうちの6才のせがれの頭程の大きさがあるのです。こんな松ぼっくりから採れる松の実はどんな味がするのでしょうか?
翌朝起きると美しい朝焼けそら。ちょっと下のオリープ畑に散歩に出掛けました。
宿より下の方にある畑はまだ朝もやが掛かった感じ。
こんな廃屋もあれば・・・・・・・・・・・
こんな立派でしゃれた感じの、恐らく普段は使われてないお金持ちの別宅もあったり。
この辺りは非常に環境がいいので、裕福層の別荘も結構あったりするのでが、土地の売買や宅地の建築にはいろいろ規制があり、そう簡単ではない様です。景観や環境が重視されるので、家ひとつ建てるのにも、家ひとつ壊さなければあらたに造れない、なんて事の様です。
多分、人気のあるこの土地の事、そうした規制がなかったら次々と家が建ち、一気に環境が変わってしまうでしょう。
最近のイタリアの経済危機を見れば、構造改革に伴い各種の規制緩和もしくは撤廃は必要な事でしょう。しかし事に優先順位や、壊してはならない物、それがあるのもまた事実だと思います。
非効率的な構造的欠陥を持った産業や自治体の機能を税金で穴埋めしていられる時代ではもうありません。どの道維持出来なくなるのであれば、荒療治は早い方がいいのです。
しかしイタリアの各地を歩いてみれば、多くの先進国の町並みを見てゲンナリするような光景が非常に少なく、様々な物に文化程度の高さを見る事が出来ます。
観光客の勝手な願い事とは思うけど、経済効率のみでもってはかられるべきではない物も多くあるものを見極め残して行ってほしいと、格別遺産の豊富な国を見て思うのでした。
まだ収穫には早そうなオリーブの実。ひとつ試しに食べてみたら苦かった。これってなんか渋抜きとかするのでしょうか?
この地帯では珍しい大きな広葉樹。トスカーナでは灌木、もしくは背の高い糸杉ばかりです。
小麦も多く作付けされ、私たちが行った10月半ばは既に刈り取りが終わって、大地の多くは土がむき出しの状態でした。
絵がないのが残念な所ですが、麦稈ロールと言う刈り取った麦の固まりが波打った広大な大地にゴロンとしてたり、所々に糸杉がある風景は、日本で言えば北海道の美瑛などに似ていると言えるかも知れません。
しかしせっかくイタリアまで来てそれを言ったら興醒めかな・・と思って黙っていたら、ものの見事に同じ事を言い当ててしまった我が奥さんだったのです。 ああ残念。
朝の散歩から7時過ぎに帰り着くと、もう既にルチアさんが私たちが泊まっている離れのダイニングには朝食の用意をすませてくれてました。
この豪華な朝食!
ラテンの国の朝メシは簡素である、と思っていたけど、イタリアはフランスのようにパン・ジャム・バター・カフェオレ、って訳ではないようです。さすがにこんな朝食は外国人が多いゲストに配慮して、ルチアさんがだんだん豪華にして行った様ですが、だいたい甘いクロワッサンやペストリー、クッキーやパウンドケーキにフルーツジュース、それに砂糖が結構入ったカフェ、と言う感じのよう。ひとによったらきっとハムとチーズを挟んでパニーニ、なんて事もあるようで。
驚くのはとにかく朝から甘々です。よくこんな朝っぱらから糖分を取れるなと言う感じがします。
イタリア人は食べる事をこよなく愛しているのでしょうが、これはイタリアン・パラドックスと言うべきなんでしょうか、アメリカ人みたいに肥満率は高くないと思います。生活習慣病もしかり。街を見回しても、心配したくなる程の肥満体は大概アメリカの観光客だったりします。
多分、様々な食材をバランスよく食べているからでしょうか。それともうひとつ、フレンチ・パラドックスはワインに含まれるポリフェノールが動脈硬化などを防いでいる、と言われますが、イタリア人の場合、これに当たるのはきっと、オリーブオイルの構成要素であるオレイン酸・リノール酸などの不飽和脂肪酸ではないかと・・・・・・。
胆石で脂肪分解出来なくなった人が、オリーブ油を使った料理では腹痛が起きない、なんて事があります。これの力は侮れませんね。
あまり高いワインは手が届かないけど、最上のオリーブオイルだったら買えますかね。せいぜいいい油を使いましょう。
ちなみにイタリアで食べた朝食では、このルチアさんの所のがいちばん美味しかったです。自分で焼いたパンと自家製ジャムが最高でした。
朝からついつい食べ過ぎてしまい、ついでに書き足すとすれば、たった10日間で軽く2キロ半太ってしまったBrewmanだったのです。
イタリア怖し、でもウマし。
2011年11月15日
イタリア,食い倒れの旅5ワイン編
フィレンツェからイタリアの高速道路アウストラーダA1を南下して1時間半ほどにある街、モンテプルチアーノ。
ここはなだらかに続くオルチャ渓谷の中の高台にあります。
近年ではトスカーナと言えばアグリツーリズモと言う、この地方の農家が営む「民宿」が流行になっているのですが、そもそもそうした宿に滞在するのに人気が集まるのは、この土地の自然と、それが生み出す恵みが豊だからに他なりません。
家畜や野生動物の肉類が揃い、オリーブは南シチリアにも負けない程の生産量。その他この季節なら栗や茸類、とくに生のポルチーニ茸が食べられるのは魅力です。しかし忘れてならないのはやはりワインでしょう。
ここトスカーナはイタリア・ワインの最高品種を生み出す地であります。
ちなみに上から2つ目の写真はカンティー(ワイナリー)です。こうした所が随所にあり、基本的にこの土地でとれたブドウのみでワインを生産して、当然のごとくこの地でボトル詰めをするそうです。他の土地で作られたワインでブレンドすると言う事はしないとの事。
日本の土地のように急峻で肥沃な大地とは違い、乾燥したなだらかな地形が続きます。地質は石灰質で養分に乏しく、よってワイン用のブドウ作りにはこの地の気候も手伝い、とても適しています。
ブドウの原産国はアフガニスタンと言われています。ここ何十年とかの地は戦火に呑まれ続け、よって本来よりは我々がニュースの映像で知ってるアフガンはずっと荒涼としてしまっているのでしょが、元々葡萄の木は枯れた乾燥地での栽培が向いているのです。
養分と水分に乏しい土地では葡萄の木はそれらを求め地中深くに根を下ろして行きます。
すると土地がなだらかなおかげで地下水はゆっくりと流れ、結果地中の多くのミネラル分を取り込みます。つまりかなり硬質のミネラルウォーターを吸い上げて実ったブドウは鉱物を多く含んだブドウとなり、そしてそのブドウで作ったワインは非常にしっかりしたフルボディーのワインとなるのです。
条件で言えばフランスのボルドーワインと似通っていると言えるかも知れませんが、モンテプルチアーノの街のレストランで気軽に頼んで呑んだハウスワインと言いましょうか、テーブルワインの印象は、しっかりしたボディーにも関わらず口当たりよろしく非常に飲みやすくて、料理を邪魔せず、尚かつ楽しませる・・・って感じ。
ああ、でもワインのテイストを語ると知識不足が露呈するのでこの程度にしておきましょうか。
しかしイタリアで嬉しいのは、大概どこのレストランでテーブルワインを頼んでもそれなりに美味く、しもかまるで水のように安い、と言う事でした。ほんと場所によってはミネラルウォーターの方が高かった・・なんて事もあったりして。
ビールもいいですが、やはりワインの国ですねイタリアは。
こちらはモンテプルチアーノからペコリーノチーズで有名なピエンツァの街に向かう途中でたまたま通ったブドウ畑。
たまたまと言うよりは、頼りにならないカーナビに従って走っていたら、何故かとんでもない林道に入り込んでしまい、おそらくこのワイナリーの私有道路を勝手に走ってしまった結果、なのでした。偶然の産物。しかしなかなかの眺めでしたね。
食用のブドウとワイン用のブドウの違いの最もは、おそらく木の剪定の仕方ではないでしょか。前者は一本の木の枝を長く伸ばしてツタを絡ませ身を成らせるのに対し、後者は背丈を短くし側枝は伸ばさせません。整然と株を並べて実らせます。多分、根っ子の問題なんでしょう。
こちらは私今までに見た事のなかったワインの自動サーバー(?)兼ボトルキーパーでしょうか。
ここモンテプルチアーノは石造りの城塞の街で大変クラッシックで趣のある所なのですが、こんなハイテク機器があるなんてね。
街には幾つかのエノテカ(居酒屋兼酒屋)がありまして、とぐろ状に登り詰めた市庁舎のある近くである一軒の看板を見ますと
「アメリア・日本に配送可」と書かれています。
うん、どうしようか・・・・・・?と悩んだ結果、せっかく旅に来たんだもの、ここはひとつ土地の名産を買わにゃぁ、となったのです。
で、選んだのがこの3本。 どちらもRosso(赤)であります。
白も一本くらいは・・と思って尋ねれば、ここモンテプルチアーノは赤ワイン用のブドウを栽培するのに適した土地で、なので白ブドウはあまり作ってない、との事です。
首に巻かれたピンク色の紙が、最高の品質を保証するラベルだそうです。
試飲してみると、両サイドのは確かにフルボディーモノで、ビンテージは2007年。もう飲めるけど、後1年くらいは寝かせてもいいかな・・って感じの飲み口でした。 でも帰って来て意外にも早く届いて、すぐに一本飲んじゃいました。
真ん中のは2006年産で、こちらはもうシブシブ、渋々でした。とても今飲んじゃ「ダメよ」って感じ。
とにかく舌に渋みが染み付いて何十秒かは取れない。思いっ切り鉱物系の味がして今は飲み頃ではないと言った塩梅。
しかしこれ幾年か寝かせればその後が楽しみなワインでしょう。しばらくはうちのガレージで熟成をしてもらいましょうか。
3本のお値段はさほど高いものではありませんでした。けれども問題は送り賃。ワインの値段の倍近くしましたよ。
でもせっかくだから、旅の思い出にもなるし・・・と言う事で購入したのですが、宿のアグリツーリズモに帰って他の滞在者で日本から来ているNさんに尋ねれば、同じ程度のものが日本の輸入雑貨屋さんで買えば、配送料込みの値段よりもずっと安くかえますよ、と教わり、ちょっと意気消沈してしまったBrewmanだったのです。 おしまい
2011年11月08日
イタリア、食い倒れの旅4ドライブ編
初日と翌朝の2時間ほど使って、概ねフィレンツェ観光は完了とし、宿をチェックアウト。
向ったのは郊外にあるHertzのレンタカーオフィス。
我々はこの街からピサ経由でトスカーナの田園地帯にあるモンテプルチアーノに車を使って
行くという算段だったのです。
ここで早くも旅のトラブル第一回目勃発。
必要提出物は:パスポート、予約番号、支払いに使うカード、それに国際免許です。
しかしいくら探したって見当たらないのです免許証が。 ある筈のものがない!
これが無いことには車は借りられません。
人間こうなると冷静さを失い、見つかる物も見付からなくなり、増々パニックに。
それを夫婦のどっちがどこにしまったのかで言い争いになり、半ばヤケッパチになって
スーツケースをほじくり返してみると出て来たのです、免許証が。
ほっとひと安心というよりは、動揺を引きずったまま乗車してフィレンツェの街に
慣れないマニュアル車で繰り出す羽目になったのでした。
今思えばフィレンツェなんぞ、その後に訪れるた更に南の街まちからすれば整然と
していたと言うべきなのでしたが、とにかくイタリアは運転し辛い事では先進国では
きっとピカイチだと思います。
道路は狭くガタガタ。なのに路駐の車で路肩は埋め尽くされ、ぶつけないようにと
慎重に運転してると事車に関してはせっかちなイタリア人は後ろから容赦なく
クラクションを浴びせ掛け、痺れを切らして少しの隙間でもあればどこでもおかまいなく
追い越しを仕掛けて肝を冷やしてくれます。
私が一番困ったのは交差点で、基本的にはロータリー式になっているのですが
小さい交差点ではロータリーの中央が何分割かになってて、直進、右折、左折別に
侵入路が決まっているのですが、これが慣れない者には至って判り辛く、どっちに
進んでいいのか・・・なんて躊躇してると後続がイラついてクラクション鳴らして
焦らせてくれるのです。それでもって「ええいっ、こっちかぁ」って入って行くと
それは反対車線だったりして更に肝を冷やすのです。
車はマニュアル車で、交差点などでもたついて低速走行と停止、発進を繰り返すと
当然運転操作は煩雑になり、尚の事余裕がなくなって行くのです。
最後にマニュアル車を使ったのは20年前、左ハンドルは5年前。
自身、もっと出来る・・なんて思っとったのですが、すぐに自信崩壊。こんな旅を
計画した自分を呪ったのでした。
非常に頼りにならないカーナビゲーション(いったい何年前の情報乗せてんだよ!)
に返って惑わされフィレンツェの郊外をグルグル同じ所を徘徊する事半時間
ようやく脱出に成功してイタリアの高速道路、アウストラーダに乗って東に走って
ピサを目指したのです。
しかしまぁ、イタリア人ってどこでもいつでも飛ばしますねぇ。車好きなのは判るのですが
老若男女の区別なしによく走ります。信号の無い横断歩道では止まってくれず、なので
意を決して車が途切れない道路に入って行くしかありません。するとまぁ適当に減速してく
れたり、止まって行かせてくれたりするので道路を渡れるのです。それは歩行者も運転者も
織り込み済み、って事になっている様です。
自分の動体視力と反射神経の衰えを充分過ぎる程思い知らされて高速道路を走り続け
途中サービスエリアで休憩、ついでに昼食を掻き込みました。こうした所では
大概売店の他にエスプレッソ・マシーンを置いたカフェのサービスと、バニー二と
呼ばれるイタリアのバケットを縦半分にして間にチーズやハム、野菜などを挟んだ
サンドイッチを幾種類も置いてあるのです。
この他甘いクロワッサンや向こうの菓子パンなどがあり
こうした取り合わせは街のカフェやバール(Bar)でも共通しています。
数も種類も豊富で目が白黒しそうです。
見た目はあまり美味そうでも無いこのバニー二。でもシンプル故になかなか
美味かったりします。
国中どこでもチーズとハムに事欠く事無いお国柄。レベルが高いのでしょうね。
当初予定ではピサに行って斜塔を見学、その後時間的余裕があればシエナに
立ち寄る・・・なんて考えは大いに甘かった、と言う事実でした。
高速道路を降りてナビに従い市街地に向ったのですが、なんせこのナビ、判り辛く
急なカーブはみな「曲がります」になるのです。そして全く道のない所を曲がりなさい
と言ったかと思えは、交差点が過ぎてから曲がれ指示を出したりするのです。
だいたい目的地の入力がいちいち面倒でそれはどういう事かと言えば・・・・・・・。
このナビの欠点を挙げつらったらキリがないのでやめときましょう。
結局ナビ頼りではいくら経ってもピサの斜塔にはたどり着けないぞ、と観念して
取り出したは出発2週間前なって購入したスマートフォンでした。
この旅の間、これの能力のおかげて随分助けられた思いです。初めての土地で時に
方角さえ判らなく事もあり、そんな時に目的地到達に威力を発揮したのでした。
アップル社製のこれは、携帯電話と言うよりは小型のパソコンと言っていいでしょう。
地図、ガイドブックのみだったら探せず諦めていたであろうケースでも
目的地のアドレスを入れると現在地からそこまでのルートをかなり正確に示します。
車で、徒歩で、大いに助けられました。そして必要ならば周辺情報も即座に出します。
この使い勝手もいい小型文明の利器には脱帽です。これで時間が随分無駄にせず
かつ目的を達成できた事多々でした。
そんなんでも下手な運転と女房の間抜けなナビゲーションですっかり時間を浪費して
途中100回程ケンカして夫婦の危機を乗り越え(?)やっとこさ到着したのでしたピサに。
いやぁ〜、こいつよく見ればほんとにかなり傾いているのです。これで何百年も
傾いだままこらえ続けてるって・・・・、信じられない思いです。間近で見ればけっこうな
巨大建築物で、高々とそびえ立ってる感じ。ほんと屹立し続けてるのが不思議だぁ。
イタリアって、結構な地震国なんですよね。
にも拘らず、その天辺まで登っている観光客がいます。いい度胸してるな。
オイラはまっぴらゴメンだ。
なんせ高所恐怖症の小心者ですから。
しかし今回改めて思ったのは、「オレってけっこうちっぽけ・・・」ってこと。
慣れないマニュアル車で事情のよく判らない国での左ハンドル運転。
道路事情も道筋も不明で標識さえちゃんと目に入らず、次第に余裕を無くして
後ろでやかましい子供を怒鳴り散らし、失敗する度に女房に当たり散らして憂さ晴らし。
追い詰められる程にどこからともなく妙に覚めた別人格の自分が語り掛けてくるのです・・
「オマエはちいさい男だ」と。
ああ、そうですよ。まったくその通りですよって! 分かってますって。
そうなんです、この程度だったんですとも。
仕舞いには車酔いしたセガレがゲロを噴射して辺りを汚し、まぁそれから臭いの
なんのって。
えっ? おまえの運転がマズいからだって・・・・・、それはそうかもね。うんうん。
こちらはピサの斜塔がある広場に立っているこの地方の象徴的存在に
なっていると言う狼の像で、よくよく見ればそのお乳にしゃぶり付いて
いるのが・・・・・・・人間の双子の子なんです。
この地方に伝わる伝説なんだとか。よく知らないのですが、「元祖狼に育てられた子」
なんでしょうか。この像は何故かかなり離れた地でカルチョ、サッカー・セリエA
ローマのエンブレムに使われてます。
オオカミのお乳で育てられたらさぞ強い子に成長するだろうなぁ・・・・・
でもオレは首が痛くってあんな格好しておっぱいなんてのめねぇもんなぁぁ・・・
なんておバカな事思って、無事世界的知名度の高い遺産にたどり着いた事を
嬉しく思ったのでした。 おしまい
2011年10月31日
イタリア,食い倒れの旅3旅のいきさつ
今回の旅行の発端は,会社員の妻が勤続20年で頂けた,少し長めの有給休暇を利用して
どこかに行ってみよう!と言うものでした。
バブル期入社の妻ですが,その当時の二十周年休暇は丸々一月もらっていたそうです。
まぁ,なんと言う時代だったのでしょう・・・・・。
しかしそんな悠長な時はすでに昔,今はそれの五分の一程度になってしまいました。
でもあるだけ有り難し。前後に土日休みと数日の更なる有給を付け旅立ち実現となりました。
もちろん自営業のわたくしはタダのズル休み。気が咎めますし,帰った後の仕事があるのか・・・・・
なんて考えたらゾッとするのですが,まぁ人生今があるのみ。出来る時に出来る事をしましょう。
去年辺りからなんとなく話には登ってはいたのだけど,ではどこがいいのか・・・?
子供も少し大きくなったし,成長した後の記憶にも残る年頃で,多少無理して歩かせられる位には
なったかなぁ・・と。
ガツッとアドベンチャー系がいいか,もしくは文科系がいいのか・・・・。
体力的にはせめて就学年齢になってからの方がアウトドアーをワイルドに楽しむのにはいいでしょう。
ただ,子供が適齢期になった時に,私の体力が落ちてやしないかと言うのもあるのですが。
それなら観光旅行でイイでないの,と言う結論。見て食って買って楽しんで・・・系の旅行です。
観光資源が豊富で食い物が飛び切り美味く,妻子を連れて歩くのに充分な治安がある所。
そしてまだ行った事がない国。
ここまで絞込みをすると,どう考えても「イタリア」が浮上してくるのでした。
バブル期入社の妻は若い時分に一度行った事があるのですが,その時は四大都市ばかりだったと。
ではイタリアの田舎に行ってみますかと。私は予てよりトスカーナ地方の文化に興味がありました。
なのでそこをメインに車を借りてのんびり旅なんかいいよね・・・なんてのんきに夢想してました。
しかし具体的に10日間と言う限られた時間で計画を練り始めると,「もうこんなまとまった海外旅行は
そうできるものじゃない」と思えば,あれこれ欲が出てきて,結局けっこう忙しい旅行日程になって
しまったのでした。
移動箇所は五つの街,訪れた場所は七箇所。三泊が一箇所,二泊が一箇所,一泊が五箇所。
その内ひとつは船中泊となりました。レンタカーは計六日間借りてイタリアの街と街道,高速道路を
何百キロ走ったでしょうか。
出発の前週に発熱し咳込みがちだった子供の体調も気掛かりでした。車酔いして車内で
ゲロ吐くこと幾多。おかげてペナルティーで200ユーロ余計な出費がかさみましたが
ガンバってよく歩いてくれました。
しかし子供の機嫌取りで,こんなモノをよく買わされました・・・・・・・・・
チョコラーテ。甘い甘いココアです。イタリアのバール(BAR)で注文すると所によっては
我々が言う所のココアなんかじゃなく,チョコレートソースみたいなのが出て来て,あまりの甘さに
ギョッとすること幾度かありました。バールによって味や濃度は様々で,それはカプチーノなどでも
みな個性があって,イタリアと言えど一様ではありませんでした。
イタリアのドルチェは美味しいですが,日本人の口にはどれも少々甘過ぎかもしれません。
チョコラーテが甘過ぎたり濃すぎたりした時には「ラテ・カルド(暖かいミルク)」を注文して
自分好みに合わせて飲む事をおススメします。スチームで泡立てたフォームド・ミルクが
チョコラーテのマッタリ感を増し,過度の糖度を中和します。
追加注文してもイタリアのバールでの飲み物は呆れるほどどれも安いので心配ご無用。
もしくは「ラテ・チョコラーテ」と最初からオーダーするのがいいかも知れませんが
場合によってはえらく薄いのが出て来るかも。
いろいろ失敗しつつ,その土地の食文化を学ぶのもまた楽しいものですね。
3月に震災があり,8年間続けて来た治療院の店舗を失い鞍替え営業を始め・・・・・・・・・・・。
社会や経済の落ち着きの無さもあったりして,正直夏までは本当にこの期に旅行に出る
べきなのか? と気持ちが定まっていませんでした。内心うずうずウジウジしてて現実感が
持てなく,前向きな気分になれずにいたのです。
しかしこんな時は女の方が逞しいのかも知れません。迷ったり,行ける事を疑ったりする観は
まったく見せませんでした。その姿に勇気を得られた気分です。
実際どこに行ったかは,余り重要な部分ではなかったのでしょう。
それより,ひとり息子が成長しある程度の分別がつく年齢になったこの時期に,家族で少し長い
時間を共有できた,その事に一番の意味があったと,帰国から日々が経つ毎に思うところです。
2011年10月26日
イタリア,食い倒れの旅2フィレンツェ編
フィレンツェの街の中心はやはりここ,Duomo(ドゥオーモ)でしょう。
イタリアは大概どこでもドォーモを中心として街が広がりを見せていてます。
街のヘソであり,旅行者はそこを基点に地理を把握すれば,観光するのに都合がいいのです。
ドイツだとそれは尖った鐘楼を擁する教会であり,少し大きな街では定刻になると鐘の下から
カラクリ人形がせり出して来て芸を見せたりもします。有名なのはミュンヘンですね。
南米の街の場合は必ず正方形の「パルケ・セントロ(中央公園)」がそれになっています。
アメリカだと高層ビル群,摩天楼の中にある,または近くのスクウェアー。
翻って我が国日本は・・・・・・?ですね。 どこが中心,って言い辛い場合が殆ど。
ただ何もかもが東京に一極集中してる点では,これまた酷く特殊な都市構造なのでしょう。
一神教の西洋に対し,アジアの信仰・思想は元々雑多なもんである,と言う違いなんでしょうか。
メディチ家の隆盛でもって急激に発展したフィレンツェ。その街の栄華の象徴がドゥオーモ。
ガイドブック的解説によると・・・・・建設開始は1296年,天辺のドームを掛け終わり
完成したのが140年後だそうです。
当時の建築技術ではこの規模のドーム状の天蓋を掛けるのは不可能と言われていたようで
それをやってのけたのがブルネッレスキさんと言う建築家さんだったと。
なのでその後イタリアの各地で街の象徴としてドゥオーモの建設が進んだ際には
フィレンツェのこのクーポラ(天蓋)がモデルにされたとの事です。
規模・美しさ共に今でも他を寄せ付けない完成度の高さとの評判です。
ああ確かに,上から見ても横から見ても下から見てもどっしりとした安定感のある美しさは
「流石」に尽きますよ。
上の写真を撮ったのはこちらから・・・・・・・・・・
ここの天辺から撮りました。あまりに上手く写っているのでどこかからの盗用のようですが
ちゃんと自分で撮りました。最近のカメラの性能と,そいでもってロケーションの良さの
産物なんです。
「ジョットの鐘楼」と言いまして,完成したのは1359年で,だからドゥオーモ完成の前に
出来上がっていたのですね。着工ドゥオーモの方が38年も先なので,きっと上から
この美しい建物を眺める目的だったんでしょうに。
人間がすれ違うのが゛やっとの狭く急なジグザク階段を登り切ると高さ85mの
フィレンツェのほぼ全容が一望できます。
ドゥオーモのクーポラの上はこの様になってました。こちらの展望台はジョットの鐘楼より
いくらか高い位置にありました。しかしこちらに登るには長い長い行列待ちです。
ここに限らず多数の世界遺産を持つイタリアの文化遺産は,登録後こんな有様のところばかりに
なっています。中には予約必須のところもあり,「世界遺産登録」って言うのにも考えさせられる
ものがある感があります。
しかし登りきるのには多少の頑張りが必要でしたが,展望で言えばジョットの鐘楼側から眺める
景色の方が断然良いですよ。なんせドゥオーモの全容をこうして見られるのですから。
日本では高級な食材屋さんのみにしか置いてないような品々が,当たり前に街のあちこちで
当然の如くお店屋さんの中で見る事ができます。
その発見頻度は日本のコンビ二並。まるで町中が成城石井状態(なんか表現が貧困)。
これはこの店のディスプレイ。なかなか可愛い,って言うか笑えます。でもこの子達本物の
イノシシなんです。どう処理してるのかは知れませんが,べつに臭ったりはしません。
このフィレンツェのあるトスカーナ州はなだらかな丘陵地帯にあり,様々な森の幸に恵まれています。
海に面していないこの土地の人々は海産物はまったくと言って良いほど食べません。
その代わり我々にとっての肉が鶏・豚・牛に大体限られるのに対し,トスカーナ人は実に様ざまな
食肉文化を持っています。三種類のはもちろんの事,キジ・ホロホロ鳥・鳩・シカ・イノシシを食します。
特に猪肉は土地の名物です。トマトと煮込んだ料理は美味いと評判。しかし今回は少し時期が
早かったのか,お目に掛かれませんでした。残念。
初日の晩は地元の人も賑わうと言うリストランテ「エノテカ・ピンキオッリ」に・・・・じゃなくって
トラットリア「マリオーネ」へ。 前者はミシュラン三ツ星レストランですよ。いつかまた・・・・・・・・・
こちらは日本のイタメシ屋さんでも割りとあるトリッパ,牛の第二の胃をトマトソースで煮込んだ物。
ちなみに第一がミノ。そう,焼肉屋さんで食べるアレです。牛さんには胃が全部で四つあって
その四つの胃で行ったり来たり反芻しながら時間を掛けて牧草などを消化します。
下の方の胃になればなるほど内容物の出入りが多くなり,それと一緒に消化酵素も
行きつ戻りつ,します。この消化酵素とやらがくせ者でして,つまり臭みの元。
下位の胃はこれが消化物と一緒に溜まってる時間が長いのでより臭くなります。
第一の胃であるミノは殆ど臭みが無いのに,それ以降はけっこうそのままでは臭います。
なので料理人は下湯でして臭み取りをするのですが,この臭みが言わば内臓系の゛美味さ゛
と言えなくも無いのですね。だからその店・料理人により臭み加減はまちまち。
大体日本のレストランでは殆ど気にならないほどに処理していますね。しかし私がこの晩食べた
トリッパは,けっこうニオイがきつかった・・・・・。好きな人,特にホルモン焼きとか好物の人は
美味く感じた事でしょう。でも自分,あの手のは苦手。
ああしかし,これが本場の味なんだろうなぁぁ・・・。軟弱モノのわたくしがダメなのです。
こちらもトスカーナの名物料理の一つ,リボリッタと言うパンと野菜のスープ。と言っても殆ど
汁っ気はなく,食べた印象はダシのあるパン粥って感じです。形の無くなるほど野菜を煮込み
パンを投入してグツグツ煮ます。お好みでビネガーやオリーブ油をたらして食します。
暑い時は冷まして,しかし元々はこの地方の冬の定番料理で,熱々にして食べて身体を
温める為のレシピのようです。
これはなかなか美味かったです。イタリア人は美味いパンを焼くのですが,割りとまとめて作ったり
するようです。フランスなどでは古くなったパンは値打ちをどんどん失うけど,イタリア人は余り気に
してないようです。だからパンはいつでもどこでも豊富にあり,古く硬くなったパンをガバッと
野菜スープに放り込んで食べたのが事の始まりかな・・・って感じの料理です。
でもこれってけっこういいですよね。日本人だって冷や飯を味噌汁の鍋に入れ雑炊・おじやにします。
きっとあれと同じでしょう。まさに郷土料理だ,これは。
パンに乗せてるのは生ハムの脂身。クドさはまったくなくって,バター代わりにこうして食べるのに
向いてます。
この店も入って直ぐの所に生ハムの脚丸ごとが何本もぶら下がっていまして,とにかく生ハム類は
いつでもどこでも口にできます。これはもちろんトスカーナに限らずイタリア中どこでも,でした。
ああ,いいなぁぁぁぁ・・・・・・・。
ですからべつにレストランで食事しなくたって,肉屋さんで生ハムを薄切りしてもらい
それにいくばしかのチーズとパン,それに安いワイン。トマトとウイキョウをスライスして
オリーブ油を掛けサラダ代わりに。
こうしたものを晩餐として宿で食ってても充分シアワセな気分に成れるに違いありません。
こちらは中央市場の食肉売り場の一角。みなけっこう安くっていい物が揃っています。
まぁよりどりみどり,見てるだけで幸せな感じ。 しかし買って帰れないのが残念・・・・・・。税関で
見つかれば没収されます。
こんなヤツが頭付きで売られてます。あたまだっていいダシがでるって。
ラテンの人々はよく食べる色の濃いモロコシ。南米などではすり潰してペースとにして甘い
ミルク粥の様にして食べて(飲んで?)いました。
この他おもしろい事にオクラトと柿がそのまま日本名で売られていました。
イタリアの人たち,どうやって食べるのでしょうかね。