2012年02月18日

イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編


10月15日、ナポリ湾は快晴。海の先にはイスキア・カプリ島が眺められ、地中海には美しい青空が広がります・・が、何故か強風。それもかなりの。
朝目が覚め起きてみると天気が回復したのはいいものの、なんかイメージ外れのナポリくんです。しかもなかなか肌寒くって。

イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編


海沿いの道、サンタルチア通りからほど近いプレビシート広場から丘の上を見上げると、こんな感じの城塞らしきものが彼方に目に留まります。
左はその通りサンテルモ城と言いまして、十六世紀に建てられた六芒星型の頑丈そうな要塞です。防衛上の理由でこの様な形状にしたのでしょうが、俯瞰すると横に間延びしたダビデの星の様です。
右の建物は国立サン・マルティーノ美術館ですが、元は修道院だったようで。建設は十七世紀だそうで、バロック様式の最高傑作との評価を国内外から受けているのですが、大体この様な施設はあえてこうした高台の不便極まりない場所に作るのですね。

ここからの眺めはきっといいだろうと思い行ってみる事にしたのでしたが、たどり着いたその場所は、ああ確かに・・・と思わせる、生活には不便で孤立・隔離するのにもってこいのロケーションだったのでした。


広場近くにケーブルカー乗り場があり、それを使って終点まで約5分位だったでしょうか、途中は残念ですがトンネル内をずっと行くので景色は一切なし、で着いたその場所は丘の上、予想に反してわりと開けていて、まぁ言うならばナポリの山の手って感じ。生活レベルも下町よりは幾分おハイソな雰囲気です。
イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

これは八百屋さんのディスプレイ、って訳ではないでしょうが、なんとなくお洒落ですよね。セイスがあると言うか。

途中大分方向を誤ったりしてウロウロし、風の強さにたじろいだりしつつなんとか城塞までたどり着き、入場料を払って入城しますと、まずエレベーターがありまして、それに乗っかって上にまで登るのです。エレベーターが遅いのか、もしくはかなりの高度を引き上げてくれたのか、感覚的には随分長い時間掛かって着いたのです。
でもまぁ、もちろん十六世紀にエレベーターがあった筈もなく、あと付けで設置した代物なんですが、こんな石造りの頑丈な建造物の中をくり抜いてそれをこしらえた現代人の営みも、なかなかどうして、中世に劣らず立派な事だと思ったのは私だけでしょうか?
イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編





イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

城壁の上から眺める景色はこんな感じ。 
そうです、ナポリを紹介す代表的な絵はみなここからの撮影だったんですね。

ナポリ港が一望出来、港の対岸にはヴィスヴィオ山がどっしり構えてます。
この山はナポリの景色を語る上では外す事の出来ないこの街の象徴的存在なのですが、日本と同じく多くの活火山を抱えるイタリア。地震も多く、時に大災害をもたらします。
2000年も前に大噴火を起こし、当時栄えに栄えていたポンペイを一夜にして火山灰の中に封じ込め、街ごとそっくりそのまま遺跡に変えてしまったのです。
標高1581メートル。ああ結構あるんですねぇ。富士山と同じく噴火によって屹立していった独立峰なのでよく目立ちます。

少し手前に目線を戻すと2隻の船が見えます。TTTと言う船会社のフェリーで、この日の夕方これに乗って翌朝にシチリア島まで運んでもらいました。
船中一泊の船旅は以前した事はありましたが、コンパートメントを取って過ごしたのは初めてで、とても快適、夜も良く寝る事が出来ました。室内には狭いながらもバス・トイレが付いいて、お湯もしっかり出ます。備え付けのバスタオルもあり。もう言う事なしの世界。
お値段ですが、そう高くない市中のホテル代に幾らか足した程度です。
そもそも船旅を考えついたのも移動時間を節約する為でした。当初は電車でのシチリア乗り込みを計画していたのでしたが、それだとお日様の高いうちに10時間以上も掛けての移動となります。
飛行機も考えたのですが、こちらはちと高くて断念。で、妻が思い付いたのがフェリーでカターニアに上陸しようと言う考え。
移動日昼間1日はたっぷり観光に費やせます。しかも宿代が一泊分節約出来、舟代はホテル代と比べてもそう高くありません。しかもまったく快適な個室での旅。これは使わない手はありません。
これは今考えても日程を丸一日得したと言う気分です。

はじめインターネットで電車を予約していたのでそれをキャンセルして船を予約したのでしたが、日付を翌16日で取ってしまいました。電車であればこれで良かったのですが、船は当日の夜に出航します。なので日付を同日にしなければ行けなかったのです。
ふと気になり見てみると妻が取った予約日付は16日。それで取り直ししなければ、となったのですが、でははたしてどうすればいいのか?
TTTのホームページには英語バージョンがありません。 と言う事は・・・多分、英語とかで日付変更を依頼するメールを送っても、見てもらえない可能性が高い。
とは言っても、我々はそんな込み入ったお手紙を掛けるだけのイタリア語の能力がない、と。
それで夫婦2人して考えに考え着いた結論は、とりあえず日本語でメールを書いて、それをネットの自動翻訳サイトで訳してもらって送るって事。
まぁとにかくやってみよっかって事で書いて訳してもらった文を、こんどはイタリア語の辞書を使って読み解いてみると、どうもなんだか随分と怪しいセンテンスになっている感じがします。しかしだからと言ってその他の手が思い付かないので、もういいエイやっ!と送信。
すると不思議と言うかなんと言うか、余り時間をおかずしてTTTさんより返信が届きました。
今度はそれをまた自動翻訳サイトで日本語に訳してもらって読んでみると、「日付の変更は完了しました」との内容です。まぁそれも随分と怪しい日本語なんでしたが、とりあえず目的ははたせたのかなぁ・・・と思う事にしました。
でも実際当日船に乗せてもらえるまでえらく不安だったのでしたが。 まぁ良かった、良かった。 しかしなんと便利な世の中になった事でしょうねぇ・・・。


教会の鐘の横辺りを見ますともう一隻船が停留しているのが判るでしょうか。
先日イタリアで「コスタ・コンコルディア」と言う巨大なクルーザーが座礁した大事故がありましたが、恐らくそれがこれ、もしくは同様の豪華客船だと思います。
イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

宿を取ったサンタルチアからでもその船の巨大さぶりはよく判る程なのですが、夕方になって港に着いて真近で見ますと、それまるで水に浮かんだ大規模ホテルの様です。
客室は縦横に幾十にも連なり、無数の窓ガラスはさもきらびやかな光を放って、その内側の世界はどの様な夢が実現されているのかと、想像を掻き立てずにはいられません。
とにかくその巨大さ加減は、きっと私が横須賀で見た空母キティーホークなどよりデカかったと思います。子供の頃大桟橋で見たクイーンエリザペス2号なんてチャチに思えるくらい。
子供心に豪華客船とは大きければ大きい程に内容ともにデラックス、と思っていたのですが、事故による報道によって判ったのは、船を大型化して収容人数を増やす事により、一人当たりの客単価を下げ、船内で催わされるアトラクションもバリエーションを増やすと言う理論だったようで。
しかし一度事故を起こせばそれだけリスク管理も難しくなる訳でして。しかも今回は船長の気まぐれと不注意が起こしたとかで。
近くで見るとギョッとするような大きさです。あんなのが海の真ん中で横倒しになるなんて想像しただけでゾッとします。


城塞の上に出て、有名な言葉にある「ナポリを見て死ぬべし」の景色を眺めたのはいいのでしたが、なんせ風の強さが半端じゃありません。城塞の端に行ってゆっくり眺望してたいのですが、油断すると城壁下へ吹き飛ばされかねない程なのです。
私3000メートル級の、または海外ではそれ以上の標高の山の稜線でかなりの強風・突風にさらされて来ましたが、多分恐らくこの城塞上を吹き抜ける風の方がすごかった気がします。
余りの風の威力に、みぞおち位までの安全壁があるのにも拘らず、恐ろしくて際まで行けないのです。こんな風に始終晒されていて、城塞の石がゴロンとはぎ取られずに何百年も持ち堪えているのが不思議です。修復作業もするにするのでしょうが、なんせこの風に当てられたら作業のしようがありませんって。


城塞から降りたその後は近くでカフェをして体を温め。そして国立考古学博物館に向かいました。
イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

山の手でバスに乗って丘を下り、途中でメトロに乗り換え駅を降りると真上が博物館でした。
しかしまぁ、この国の人は歴史の下に地下鉄を通すのが随分とお好きなようで。

わたし、正直美術には殆ど造詣がありません。興味もなくはないのですが、学校教育で最低限の基礎をオロソカにした結果、年代様式とかナンチャラとかが全く解らず、よって解釈の仕方に困ってしまって面白みがイマイチつかめなかったりするのですね。
でもまぁ、こうしたところに来るのは嫌いじゃありません。せいぜい息子には同じ轍を踏ませんとこ。


こちらは「アレクサンドル大王の戦い」と言う、超有名な美術品・・だそうです。5.83x3.13mもある大作で、言わばこの博物館の目玉商品の様なもの。
イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編


イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

一番上の「アレクサンドル大王・・・」のも含め、上の作品はすべてポンペイやエルコラーノから発掘されたモザイク画です。みな2000年前に作られたものばかり。
2000年前に道具も限られたでしょう、色彩も豊かで細やかな美術品をこしらえるのには、さぞ手間ひま掛かったに違いありません。

見方を変えるならば、その当時の都市生活は、こんな事にお金や時間を費やせる程に文明文化レベルが高く、また経済的にも豊かだったのかなぁ、と想像させるのです。
気候は温暖で安定し、作物はよく育つ。戦争も当分なさそうで、円形競技場でクラディエーターたちの幾らか緊張感の欠ける演出された戦いを観戦する事で市民は満足。政治や経済の不満のカタルシスをそれに求めるには、世の中は余りに満ち足りて平和だったのでしょう。
そんなご時世には、こんな手の込んだアートがとかく流行るのですね。苦しい時代に心の叫びが求める彫刻や絵画などとは趣が違うと思います。なんかどっか牧歌的で、いい意味でマジメさが伝わってこないのです。


そんな事を考えつつ美術鑑賞の歩を進めていると、ちょっと趣が違ったセクションに行きた当たりました。
イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

「GABINETTO SEGRETO(ガビネット セグレート)」 
直訳するとするなれば、さしずめ「お便所のヒミツ」と言ったところ。
私の思うところによりますと、どうも欧州の言語は肌を晒す場所や行為を同一の単語で表す事が多い様な気がします。
どういう事かと言いますと、トイレやお風呂などは英語ですと「Bass」ですし、スペイン語ですと「Bano(バーニョ)」となります。
イタリアも南に下るとバーニョを良く使いますが、ガビネットはやや堅め目の単語。単純にトイレを言う時には余り使われない様なのですが、ここで何ゆえこの単語が出て来たと申しますと・・・・・・・・こんなヤツとか
イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

あるいはこんなのとか
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はてはこんなもんまで・・・・・
イタリア、食い倒れの旅15ナポリ編

みな非常におバカっぽいのですが、すべて2000年以上前の文化レベルの高い民たちの生活の中で生み出されたものばかり、と言う事実です。余裕を感じさせます。

真鍮性の頑丈な扉で仕切られたその部屋は、建物の規模から言えばほんのひと区画に過ぎないのですが、置いてある品々はみな全て、こんなお下に関する作品ばかり。
まず扉をくぐると左手に成人男性の背丈を有に超す程の巨大な男根彫刻がそびえ立ってます。そのすぐ隣にパイプ椅子に座った30代と思しき学芸員がいるのですが、彼女何やら携帯で難しそうな顔して話してます。様子からすると、なんか事務的な用件で館内にいる他の職員とやりやっている様な感じで、こちらにはちっとも目もくれません。
そこを私と女房は6才のセガレの手を引いて何の場所なのかも解らず侵入してしまったのです。
若いカップルがひと組他にいて鑑賞しているのですが、はじめの内は美術鑑賞に徹しようと気構えているらしく、あえて2人とも厳しそうな表情を作っていたのですが、さすがに後半半分くらいになると互いにニヤニヤしだして、その後はもう可笑しくなったのか突つき合ったりして妙に嬉しそうなおツラ構えに変身。
そうそう、若ければそうでなくっちゃ。

我々家族が入って来た扉を出ると、やっと気付いたのか監視の学芸員は血相変え、その真鍮の重い扉をガチャンと閉めちゃいました。
ああやっぱり、子供を連れて入る所ではなかった様です。
ああでも、もう見せちまったよ全部。 その内ちゃんと性教育せんといかん時期が来るんだろうなぁ。

一通り回りますと、まあ〜あるわあるわの、よくぞ集めたなと言う案配。呆れるやら、逆にその当時の人々の遊び心に感心しなくもありません。
基本的に、人は2000年経ってもまぁだいたい同んじなのかな・・・と。



これらの作品群を通して見えて来るのは、当時の生活が豊かで平和で、そしていかにも楽しそうだったと言う事です。ある意味、理想社会だったのではないでしょうか。
にも拘らず、と言うかあるいは幸福が過ぎて神の怒りを買ったのか・・は知れませんが、ヴィスヴィオ山がある晩突然大噴火。大量の硫化水素が発生して、ポンペイ市民は分けも解らないうちにガス死したと言われています。そして生き物の息絶えたところには火山灰があっという間に堆積し、よって2000年のその時をそっくり封印したまま現在遺跡を残したのです。

わたし思うに、一寸先は知れたもんじゃありません。ならば今この時を生きようと。
そう、思い立ったが吉日。やりたい事があるなら、今がその時です。多少の犠牲は目を瞑るりましょう。
と言うワケで、仕事ずる休みをしてイタリアまで来た自分の行為を遺跡にかこつけ正当化するBrewmanだったのでした 丸


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